米CNBC「高市リスク」指摘…「靖国行かず」早苗、もう日和る! 維新要望“丸呑み”総理誕生で「経済政策は微妙」暗雲立ち込める

右派層から圧倒的支持を得て総裁となった高市早苗氏だが靖国神社の秋季例大祭の参拝は見送るという。読売新聞によると「参拝すれば中国や韓国の反発を招くとして、外交問題化を避けるべきだと判断した」。しかし、それでは早速高市氏に投票した多くの自民党員の期待を裏切ることになるのではないか。政局が混迷を極めているのは事実だが、いざ総裁になったら簡単に信念をまげてしまうのであれば、それは石破茂総理と一緒なのではないか。経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一氏が解説するーー。
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あまりにも都合の良い物語への期待
10月6日、日本の株式市場は、まるで熱病に浮かされたかのような異常な高揚感に包まれていた。日経平均株価は史上初めて4万8000円台という未知の領域に突入し、市場関係者たちはこの現象を「高市トレード」と名付け、自民党の新総裁に高市早苗氏が選出されたことに期待感が膨らんだ。その背景には、彼女が掲げる経済政策が、かつての「アベノミクス」をさらに推し進める「ネオ・アベノミクス」となるという、市場の大きな期待があった。
海外メディアはその期待感を冷静に捉えていた。米紙ニューヨーク・タイムズは、総裁選直後の市場の動きをこう分析している。10月5日付の記事の中で、次のように報じた。
「高市氏が低金利維持を含む『ネオ・アベノミクス』を実施するという憶測が、市場を揺るがした」
つまり、この初期の株高は、実体的な経済成長への確信ではなく、「大規模な財政出動と金融緩和が続くだろう」という憶測、いわば幻想の上に築かれていたのである。それは、カネをばら撒く指導者が登場しさえすれば、長年続く経済の停滞も、人々の不安も、すべてが魔法のように解決されるという、あまりにも都合の良い物語への期待であった。
しかし、政治の世界に魔法は存在しない。あるのはただ、冷徹で無慈悲な現実だけである。高市新総裁を待ち受けていたのは、栄光へと続く花道ではなく、権力の基盤そのものが足元から崩れ落ちていく音であった。
致命的な一撃は、首相指名選挙を目前にして、政権の礎であったはずのパートナーから放たれた。1999年から実に26年もの間、自民党政権の安定を支えてきた公明党が、連立からの離脱を表明したのだ。これは単なる仲間割れではない。政権にとっての生命線、すなわち国会で法案を成立させるための「実行能力」が、根こそぎ奪われたことを意味する。
経済政策の数々はただの絵に描いた餅と化した
公明党の支持母体からは「正直ほっとした」という声が漏れ聞こえる。自らの信条や支持者の声に真摯に耳を傾け、四半世紀以上も続いた安定と決別する道を選んだ公明党の決断は、組織の原理原則を守るという一点において、ささやかな称賛に値するのかもしれない。
その結果、高市総理が掲げる経済政策の数々は、実行される前から実現可能性を奪われた、ただの絵に描いた餅と化したのである。
当然、代わりのパートナーを探す動きも出るだろう。日本維新の会などとの連立が模索されているが、現在の高市政権がしていることは、野党の顔色を窺いながら、自身の政策を骨抜きにしていくことだけである。靖国神社も行くと言ったのに、行かないという。公明が抜けた今、行かない理由は「中韓への配慮」以外にない。自分が一番批判してきた「中韓への配慮」を自分がやるというのだから、困ったものだ。
政治基盤の崩壊だけでも致命的だが、問題はそれだけにとどまらない。高市氏が看板政策として掲げる「責任ある積極財政」なるスローガンは、その内実を精査すればするほど、矛盾と危うさに満ちている。
「責任ある」という耳障りの良い言葉とは裏腹に、その中身は、物価高に苦しむ国民の傷口に塩を塗り込むような、無責任な政策のオンパレードである。現在、日本は歴史的なインフレ、つまりモノの値段が上がり続ける状況に直面している。これは、熱を出している病人に、さらに熱い風呂に入れと命じるようなものだ。経済が過熱気味の時に、政府が借金を増やしてまで市場にお金をばらまけば、インフレはさらに悪化し、国民の生活はますます苦しくなる。
有権者の不満の核心は、物価高と賃金の停滞
海外の専門機関も、このインフレ圧力に対する高市氏の立ち位置を厳しく見ている。米国のシンクタンク、カーネギー国際平和基金は、10月に発表した「高市氏は日本の未来か?」と題する論文で、次のように指摘する。
「経済的には、高市氏は生活費の上昇に対する有権者の増大する不満に対処しなければならない」
有権者の不満の核心は、物価高と賃金の停滞にある。にもかかわらず、高市氏の政策は、インフレを抑えるどころか、さらに加速させかねない。米国の経済専門メディアCNBCもまた、10月6日付の記事で、高市氏の政策が内包するリスクを冷静に指摘している。
米メディアが指摘する「高市リスク」
「高市氏の経済政策は、野党支持と引き換えに減税や補助金を実施すれば、日本のインフレ問題を悪化させ、国債市場の警戒勢力を動揺させる可能性がある」
これは、世界の市場が高市氏の政策を「危険な賭け」と見なしている証拠である。さらに深刻なのは、政策の裏付けとなる財源、つまり「そのお金はどこから持ってくるのか」という最も重要な問いに対して、高市氏が何一つ明確な答えを示していないことだ。
安定的な財源の裏付けがない政策は、国の信用を失墜させ、長期金利の上昇を招く。長期金利の上昇とは、国が借金をする際の利子が高くなることだ。すでに天文学的な額に膨れ上がった日本の借金の利払い費が少し増えるだけで、国の財政は破綻の危機に瀕する。高市氏の「積極財政」は、日本経済という時限爆弾のスイッチを押す行為に等しいのだ。そして、国際的な信用を得られる財源とは「歳出削減」以外にあり得ない。ムダを削り行政を効率化させることは同時に、自民党にぶら下がる腐敗した支持団体への補助金を切ることにもなるが、党内基盤が弱く、すぐベタ降りする高市氏にそれができるとも思えない。
Takaichi Always Chickens Out
つまり根源的な問題は、指導者としての高市氏本人に対する信頼の欠如である。ウォール街には「TACO(Trump Always Chickens Out)」という言葉がある。これは、ドナルド・トランプ前米大統領が、選挙中は過激な公約を掲げながら、大統領になると現実の壁の前にあっさりと日和見な姿勢をとることを揶揄した言葉だ。この言葉は、悲しいことに、高市氏にもそのまま当てはまる。頭さえ下げて、政策を丸呑みすれば総理になり、政権は維持できるのかもしれないが、それでは「Takaichi Always Chickens Out」だ――。
総裁選において、高市氏は自らの信条であったはずの保守強硬路線を事実上封印し、にわか仕込みの経済政策を前面に押し出した。それは、総理の椅子を手に入れるためならば、自らの信念さえも曲げるのかと疑念を抱かせるに十分な変節であった。このような一貫性のない姿勢は、敵対勢力を安心させるどころか、味方であるはずの市場参加者に「この指導者は信頼に値しない」という強烈なシグナルを送るだけである。
新しい市場の恐ろしい現実
期待とは、一貫性と実行力に対する信頼の上に成り立つ。その信頼が揺らいだとき、期待は失望へ、そしていずれは市場のパニックへと変わる。これから訪れるかもしれない下落局面が、これまでと決定的に違うのは、日本銀行という砦が存在しないことである。
これまで日本の株式市場は、どれだけ株価が下落しても、最後は日銀によるETF(上場投資信託)の買い入れが相場を下支えするという暗黙の了解があった。それは、高層ビルの窓拭き作業員が装着する命綱のようなものだった。たとえ足を踏み外しても、命綱があるから大丈夫。その安心感が、投資家たちを強気にさせていた。しかし、その命綱は、既に取り払われている。日銀はETFの定例的な購入を終了した。今、日本の株式市場で作業する人々には、命綱がない。一度バランスを崩して落下すれば、そこには衝撃を和らげてくれるものは何もない。冷たく硬いコンクリートの地面が待っているだけだ。下げるときは、とことん下げる。それが、新しい市場の恐ろしい現実である。
公明党との連立を解消され、政治基盤は極めて脆弱になった。経済政策は矛盾と危険をはらみ、その財源も不透明である。そして何より、市場は指導者としての一貫性と信頼に厳しい視線を向けている。高市早苗総理を待つのは、決して平坦な道のりではない。自らが作り出した期待という名の熱狂を、実効性のある政策へと転換し、この暗雲を振り払うことができるのか。あるいは、その熱狂が冷めた後に残る失望を、なすすべなく見つめることになるのか。日本経済の行方は、その手腕一つにかかっている。