【いよいよ自維N政権が爆誕】維新・NHK党が夢のタッグ! 「信念を捨てた権力者」の経済政策は野党横取り…ここを見よ!投資家要注意なのは高市早苗総理じゃなくて…

石破茂総理大臣の辞職に伴う自民党総裁選で、下馬評をひっくり返して勝利した高市早苗氏だったが、公明党の連立離脱により、総理就任について一時危ぶまれた。しかし、日本維新の会が連立に加わることを表明し、首班指名に高市氏の名前をかくことを決めた。少数与党連合による高市政権のもと、日本はどう変わるのか。経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一氏が「政策も理念も大きく異なるはずのNHK党まで会派に引き入れた。これはまさに、政策を棚上げし、選挙の争点をなくしていくメルケル流」と指摘する。小倉氏が詳しく解説していくーー。
目次
靖国神社の秋季例大祭の参拝見送り…支持者を早速裏切る
高市早苗氏が、日本の内閣総理大臣に就任することが濃厚だ。日本憲政史上、初の女性宰相の誕生である。保守派の長年の期待を一身に背負い、力強い言葉で国家の再建を誓ったその姿は、多くの国民の記憶に新しい。しかし、その船出からわずか数日前、彼女の支持者たちが固唾をのんで見守っていた一つの行動が、高市新政権の未来を暗示していた。秋季例大祭における、靖国神社への参拝見送りである。
これまで閣僚として、あるいは一人の政治家として、高市首相は靖国参拝を信念として貫いてきた。国家のために命を捧げた英霊への感謝と尊崇の念を示す行為であり、彼女の政治的アイデンティティの根幹をなすものだったはずだ。だが、総理の座を目前にした高市首相は、その信念をあっさりと棚上げした。表向きの理由は「外交問題化への配慮」だ。
しかし、その言葉の裏には、総理の座を確実にするためならば、いかなる妥協も厭わないという冷徹な計算が透けて見える。党内のリベラル派、連立を組む日本維新の会、そして中国や韓国といった近隣諸国。あらゆる方面に配慮という名の忖度を示し、自らの「色」を消したのだ。この瞬間、多くの人々が夢見た「保守の星」は、その輝きを自ら手放したのである。
高市首相が座右の書として公言してきたのは、英国の元首相マーガレット・サッチャーの回顧録だ。サッチャーは「鉄の女」と呼ばれ、強烈なリーダーシップで「英国病」と呼ばれた経済の停滞を断ち切り、労働組合との闘争に勝利し、フォークランド紛争を戦い抜いた。彼女の政治は、常に明確なビジョンと、それを実現するための揺るぎない信念に支えられていた。
根本的な政策を変えてしまうことに躊躇がない高市とメルケル
たとえ国民から不人気であっても、国益に資すると信じる改革は断固として実行する。その姿に、高市首相は自らの理想を重ねていたはずだった。
しかし、総理大臣となった高市首相が選んだ道は、サッチャーのそれとは真逆だった。サッチャーが信念という名の「鉄の鎧」を身に纏い、敵からの矢を弾き返しながら前進したのに対し、高市首相はその鎧を自ら脱ぎ捨て、柔らかな服に着替えてしまった。日本の政治という戦場では、硬い鎧は標的にされやすく、むしろ動きを鈍らせるだけだと悟ったからだ。総理になるという目的のためには、かつてあれほどまでに掲げた保守の旗でさえ、取引の道具になり得る。靖国参拝の見送りは、その手始めに過ぎない。
では、高市首相の新たな手本は誰なのか。高市首相自身がどこまで意識しているかは別にして、その答えはドイツにある。16年もの長きにわたりドイツ首相を務めた、アンゲラ・メルケルだ。物理学者出身のメルケルは、イデオロギーよりも現実的な成果を重視するプラグマティスト(実用主義者)だった。高市首相も、政治的立場は当初リベラルであり、最重要政策である消費税についても上げよと言ったり下げよと言ったり、今度は下げられないと言い出したりと、主張を二転三転させている。根本的な政策を変えてしまうことに躊躇がない点は、メルケルと似ている。
相手の得意技を先に使って、戦う気力すらなくさせてしまう
メルケルの政治手法は、実に巧妙であった。ドイツは多党制であり、連立政権が常態化している。メルケルは、自身が率いる中道右派のキリスト教民主同盟(CDU)と、ライバルであるはずの中道左派・社会民主党(SPD)などと、何度も大連立を組んだ。その際、メルケルは連立相手の政策を大胆に取り入れた。最低賃金の導入、原子力発電からの脱却、同性婚の合法化。これらは元々、SPDや緑の党が掲げていた看板政策である。メルケルは、これらの政策を先回りして実現することで、野党から攻撃の材料を奪い、選挙の争点を消し去ってしまったのだ。
この手法は、政治学で「非対称的動員解除」と呼ばれる。少し難しい言葉だが、要するに「相手の得意技を先に使って、戦う気力すらなくさせてしまう」戦略である。敵は自分の十八番を奪われ、呆然と立ち尽くすしかない。
メルケル化した高市「何もしない、決めない、言わない」
メルケルはこの戦略を駆使して、政敵を次々と無力化し、長期政権を維持した。
メルケルの時代、ドイツの政治は安定したが、同時に「退屈」になったと言われる。彼女の政治スタイルは、ドイツ国民から「メルケルする(merklen)」という動詞で揶揄された。「何もしない、決めない、言わない」という意味である。
今の高市首相を見ていると、このメルケルの亡霊が乗り移ったかのようだ。自民党は衆議院で単独過半数を割り込み、政権運営には他党の協力が不可欠となった。そこで高市首相は、日本維新の会との連立に踏み切った。その交渉過程で、維新が「連立の絶対条件」として突きつけた国会議員の定数削減を、自民党は丸呑みした。これは、かつての 自民党であれば、党内の抵抗が大きく到底受け入れられるものではなかったはずだ。だが、高市首相は権力の維持を最優先し、自党の伝統や議員の既得権益よりも、維新との連携を選んだ。政策実現のためではない。ただ、多数派を形成するためだけに。その証拠に、政策も理念も大きく異なるはずのNHK党まで会派に引き入れるという離れ業までやってのけた。これはまさに、政策を棚上げし、選挙の争点をなくしていくメルケル流そのものである。
経済人、投資家がみるべきは高市じゃなくて…
この「メルケル化」した高市政権は、今後どのような政策運営を行うのだろうか。特に注目すべきは経済政策だ。そして、ここにこそ、日本にとっての思わぬ光明が見出せるかもしれない。
高市首相は、維新や国民民主党が長年温めてきた、国民に人気のある経済政策を次々と横取りし、あたかも自らの手柄であるかのように実行していくだろう。
今後の日本経済の行方を占いたい市場関係者や投資家は、もはや高市首相自身の発言に一喜一憂する必要はない。見るべきは、首相官邸の記者会見ではなく、日本維新の会や国民民主党が発表する政策集である。なぜなら、そこにこそ数ヶ月後の政府の経済政策の「答え」が書かれているからだ。高市首相は、国民の声ではなく、野党の人気政策という名のカンニングペーパーを見ながら、政権運営というテストに臨む。そして、そのカンニングペーパーに書かれている答えは、驚くほどに正鵠を射ているのである。
鉄の鎧を脱ぎ捨てた高市首相の前に、もはやイデオロギーの敵はいない
信念を貫いたサッチャーは、英国に大きな変革をもたらしたが、同時に深い分断も生んだ。一方、信念を曲げ、敵の政策を取り込んだメルケルは、ドイツに安定をもたらしたが、停滞も招いた。高市首相が選んだのは、これまでのところ後者の道だ。
それは、総理大臣として長期政権を築くための、最も賢明で、そして最も政治家としての矜持を欠いた選択なのかもしれない。彼女は、日本の歴史に名を刻む初の女性総理となった。しかし、その名が「偉大な改革者」として記憶されるのか、それとも「信念なき権力者」として記憶されるのかは、まだ誰にも分からない。
確かなことは、鉄の鎧を脱ぎ捨てた高市首相の前に、もはやイデオロギーの敵はいない。いるのは、政策を横取りされる未来の獲物だけである。我々はこの奇妙な政治的茶番劇を、注意深く見守るべきなのかもしれない。信念なき首相が、歴史の操り人形として自らの意図とは異なる成果を上げていく。そんな喜劇が、今、始まろうとしている。