「玉木る」と言われ人気ガタ落ち国民民主と「減税潰しの維新の高笑い」…左派的ポピュリズムを始めた高市政権が日本経済を潰しにかかる

一時は玉木雄一郎総理の誕生かなどともてはやされたが、結局連立与党入りすることも、立憲民主党と合意することもできなかった国民民主党。代表の優柔不断を揶揄して、ネットでは「玉木る」という言葉も一部で使われたようだ。この問題に関して経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一氏が解説するーー。
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玉木も反応したネットの「玉木る」という言葉
一本の記事が、書いた人間の手を離れ、思わぬ旅をすることがある。先日公開した私の論考<「玉木る」とまでいわれ…評判ガタ落ち国民民主と維新の高笑い!化けの皮がはがれる「口先だけの改革派」国民の生活に直結する減税策>が、まさにそうであった。政局の渦中にいた国民民主党の玉木雄一郎代表、本人から直々に言及があったのである。
玉木氏がSNSで記した「タイトルだけ見ると、また私をディスる記事かと思いきや、国民民主党の経済政策への期待の記事でした」という一文に、逆風の中に立つ政治家の複雑な心情が滲む。この記事で問いたかったのは、玉木雄一郎という個人の評価ではない。国民民主党が掲げた政策という珠玉の輝きと、その輝きを無慈悲に踏み潰した者たちの罪、そして日本政治が失った計り知れない機会についてであった。その意図が、少なくとも当事者には届いた。この事実を起点として、もう一度、あの政局の嵐が何であったのかを、より深く掘り下げてみたい。
永田町を駆け巡った権力闘争は、高市早苗首相の誕生と、日本維新の会との閣外協力という形で一応の決着を見た。この目まぐるしい椅子取りゲームのなかで、国民民主党代表、玉木雄一郎氏の評判は地に墜ちた。数日前まで政権の鍵を握る男として脚光を浴びていた人物が、電光石火の自民・維新合意によって、一瞬にして「蚊帳の外」へと追いやられた。メディアの前で「二枚舌みたいな感じで扱われて残念」と悔しさをにじませる姿は、敗者のそれであった。そして、SNSでは彼の逡巡を嘲笑うかのように、「玉木る」という不名誉な俗語まで生み出された。
しかし、この「玉木る」という現象は、本当に玉木代表一人の優柔不断さが原因だったのだろうか。事実は異なる。この言葉の背後には、政治家として最も重要な信義を欠いた、日本維新の会の背信行為が存在する。資料を紐解けば明らかだが、維新は当初、野党連携のテーブルに着き、国民民主党と共に自民党と対峙する姿勢を見せていた。
減税策は、他のどの政党の主張よりも具体的
玉木代表が自民党との連携に踏み切れないでいる間に、水面下で高市陣営と密約を交わし、最後には国民民主党を置き去りにして権力の甘い蜜にありついた。これは、ただの駆け引きの巧みさなどではない。共に戦うと見せかけた相手を、自らの利益のためにためらいなく切り捨てる裏切りである。玉木代表が「蚊帳の外」にいたのではなく、維新が玉木代表を「蚊帳の外」へと突き飛ばしたのだ。「玉木る」という言葉は、本来ならば、信義にもとる行動で他者を陥れる維新の振る舞いをこそ指すべきであった。
この一連の騒動で失われたのは、一人の政治家の評判だけではない。もっと重大な、国民生活を豊かにするはずだった政策という名の希望が、党利党略の犠牲になった。国民民主党が掲げてきた経済政策には、特筆すべき価値があった。特に、国民の財布に直接響く減税策は、他のどの政党の主張よりも具体的で、地に足の着いたものであった。
バラマキではない経済政策
例えば、ガソリン価格の高騰にあえぐ国民のために「トリガー条項」の凍結を解除し、ガソリン税を引き下げるという提案。これは、地方で自動車が生活の足である人々や、物流を担う中小運送業者にとって、まさに干天の慈雨となる政策だ。あるいは、働きたいのに税制の歪みのせいで就労時間を調整せざるを得ない、パートタイマーの女性たちを苦しめる「年収の壁」問題。この壁を引き上げる具体的な提案は、多くの世帯の収入を増やし、深刻な人手不足の解消にも繋がる、一石二鳥の妙案であった。
これらの政策が優れているのは、単に国民に金を配るバラマキではない点にある。減税という手法は、人々の消費や企業の投資を促し、経済全体を活性化させる力を持つ。つまり、経済のエンジンを再始動させるための、極めて合理的な選択なのである。国民民主党の政策は、経済成長という大きな目標と、働く人々、特に所得の低い層を支えるという弱者への配慮を、見事なバランスで両立させていた。もし、この練り上げられた政策パッケージが高市新政権の経済政策の柱となっていたならば、日本の長い停滞に終止符を打つきっかけになったかもしれない。多くの国民が玉木代表の動向に注目したのは、彼が掲げる政策の正しさへの共感があったからだ。
維新の罪は、今回の一件に留まらない
だが、その希望は打ち砕かれた。そして、その破壊者が日本維新の会であることは、もはや疑いようがない。維新の罪は、今回の一件に留まらない。実は、維新が国民のための減税を潰したのは、これが初めてではないのだ。時計の針を少し戻してみよう。2025年の春、予算編成の時期にも、維新は国民民主党が掲げた減税案の前に立ちはだかっている。当時も国民民主党はガソリン減税や年収の壁撤廃を強く訴えたが、維新は自民党と手を組み、これらの切実な要求を葬り去った。国民生活の負担軽減よりも、自民党との連携による党勢拡大を優先したのである。
維新という政党は、常に「改革」という耳障りの良い旗を掲げる。今回の政局でも、自民党の裏金問題をとらえ、「政治とカネ」の改革を叫んだ。しかし、自民党が難色を示すや、その主張をあっさりと引っ込め、代わりに持ち出したのが「国会議員の定数削減」であった。議員の数を減らすことは、一見すると国民の溜飲を下げるかもしれない。だが、それによって国民一人ひとりの生活が具体的にどう良くなるというのか。ガソリン代が1円でも安くなるのか。手取り収入が1円でも増えるのか。答えは否である。維新は、国民生活に直結する経済政策という貴重な果実を人質に取り、自らの「改革政党」というメンツを保つための、空疎な取引を行ったに過ぎない。
積極財政を唱えたこともある高市首相、真逆の事態が進行
維新の行動原理は一貫している。国民の利益ではなく、党の利益。政策の実現ではなく、政局での勝利。そのために、信義を破り、国民のための減税を二度にわたって踏み潰した。高笑いが聞こえてくるようだ。改革の旗を掲げながら、その実、国民生活の向上を阻む最大の抵抗勢力。日本維新の会とは、そのような存在に成り下がった。その罪は、あまりにも重い。
さて、こうして誕生した高市政権は、日本をどこへ導くのか。安全保障や外交においては、高市首相はかねてからの保守的な信条を前面に押し出すだろう。問題は経済政策だ。かつては積極財政を唱えたこともある高市首相が、信念に基づいた経済改革を断行するだろうか。その可能性は低いどころか、真逆の事態が進行している。
高市政権は、驚くべき速さで「左転換」を始めた。まるで、アメリカ民主党のカマラ・ハリス副大統領が日本の総理大臣になったかのようだ。
バラマキと増税を組み合わせた左派的ポピュリズム
あれほどこだわっていた靖国神社への参拝を見送り、伝統的な支持層を裏切ったかと思えば、経済では左派野党が長年主張してきたメニューを次々と実行している。金融所得課税の引き上げで富裕層に狙いを定め、企業の内部留保、すなわち現預金への課税強化をちらつかせる。あげくの果てには、農林水産大臣が唐突に「お米券」の配布を言い出す始末。まさしく、バラマキと増税を組み合わせた左派的ポピュリズムである。
「強い日本を取り戻す」というスローガンは、どこへ消えたのか。そこにあるのは、権力の座にしがみつくためならば、自らの思想信条さえも投げ捨てる政治家の姿だ。この豹変は、高市首相が経済に何の信念も持っていないことの証左に他ならない。増税とバラマキの組み合わせは、日本経済を成長させるどころか、さらなる停滞へと引きずり込む毒薬に等しい。
このような状況で、蚊帳の外に置かれた国民民主党と玉木代表は、どう戦えばよいのか。閣外協力という形で政権に影響力を持つ維新と比べ、国民民主党の意見が政策に反映される機会は激減する。しかし、ここで絶望している場合ではない。減税政策の正しさこそが、国民民主党に残された最大の武器なのだから。