コメ価格は高止まりする…「鈴木憲和農相、情報番組で玉川徹を黙らせる」一方で「お米クーポン」大阪で中抜き24%「時代錯誤な政策」

高市早苗内閣が発足した。新たに防衛大臣に任命された故イズム進次郎氏に変わって農林水産大臣に選ばれたのは鈴木憲和氏だ。元農林水産省の官僚であるが、就任早々、石破茂前首相を批判し、話題を呼んだ。「総理大臣が『4000円台などということはあってはならない』っていうことを、発言すべきではない」とし、石破氏が過去、コメ5キロの平均価格について「3000円台でなければならない。4000円台なんていうことはあってはならない」と発言したことを批判した。また鈴木大臣は「本当に困っている人」に効果的に支援を届けるため「おこめ券を含めた」物価高対策を進めるべきだと明言した。経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一氏は「愚策という言葉すら生ぬるい」と憤怒する。小倉氏が詳しく解説していくーー。
目次
市場価格を意図的に高く維持しようとする、時代錯誤な政策
先日、新たに就任した鈴木憲和農林水産大臣が、朝の情報番組に生出演し、大きな話題を呼んだ。番組内で大臣は、コメンテーターの玉川徹氏らを相手に、自身の米政策について約50分にわたり持論を展開。前政権の増産方針を転換し「国内の需要に応じた生産が基本」だと主張した。価格高止まりを懸念する声には、無秩序な増産はむしろ「大暴落」につながると反論し、需給バランスを整えることで価格の乱高下を避けるのが狙いだと説明した。さらに物価高に苦しむ消費者への具体策を問われると、「本当に困っている人」に効果的に支援を届けるため、「おこめ券を含めた」物価高対策を進めるべきだと明言した。この堂々とした受け答えに、ネット上では「大臣が無双している」「論破した」などと称賛の声が沸き起こった。しかし、この喝采の裏で語られた政策、特に「おこめ券」という発想は、本当に国民生活を救うものなのだろうか。
食卓の根幹を揺るがしてきた米価の高騰に対し、新たに就任した鈴木憲和農林水産大臣は、驚くべき所信を表明した。「国内の需要に応じた生産が基本」。この言葉は、一見すると合理的で穏当に聞こえるかもしれない。しかし、その内実は、国家が再び農家の生産量を管理し、市場価格を意図的に高く維持しようとする、時代錯誤な政策への回帰宣言に他ならない。
そもそも、資本主義社会における価格とは、需要と供給の関係によって自律的に決まるものである。
供給が減るのだから価格は下がらない。むしろ高止まりする
ある商品の値段が上がれば、生産者は儲かると考えて供給を増やし、消費者は高いと感じて購入を控える。その結果、価格は適正な水準に落ち着く。これは、八百屋がキャベツの値段を決めるのと同じ、ごく自然な経済の摂理である。
ところが、鈴木農水大臣の掲げる方針は、この摂理を真っ向から否定する。国家が「需要」を勝手に予測し、それに合わせて農家に「これだけ作りなさい」と指示を出す。これは、国民が必要とする米の量を官僚が完璧に把握できるという、傲慢な思い上がりに基づいている。過去、農水省がその予測を何度も外してきた事実は都合よく忘れ去られているようだ。
国家が生産量を絞れば、供給が減るのだから価格は下がらない。むしろ高止まりする。鈴木農水大臣の政策は、米の価格を高いまま維持させ、農家の既得権益を守るためのものだと断ぜざるを得ない。そして、その高値によって悲鳴を上げる消費者に対しては、「おこめ券」を配って黙らせようというのである。これは、病気の根本原因を放置し、痛み止めだけを延々と処方し続ける医者の所業と同じだ。
中抜きされまくる「おこめ券」
この「おこめ券」という発想に至っては、愚策という言葉すら生ぬるい。物価高に苦しむ人々を救うという名目で、特定の品物にしか使えないクーポンを配る。これは国民を何だと思っているのか。野菜が高くなれば「野菜券」を、魚が高くなれば「魚券」を配るのだろうか。このような場当たり的な対応は、経済政策の名に値しない、ただの人気取りのバラマキである。
さらに深刻なのは、この種のクーポン事業に巣食う、税金を食い物にする寄生構造だ。大阪府吉村洋文知事が実施してきた「お米クーポン」事業は、その醜悪な実態がある。事業費は税金から75億円。対象となる子ども一人あたり5000円相当のクーポンが配られる計画で、府民に直接渡る総額は約57億円であった(産経ニュース『大阪府の「お米クーポン」3億円分使われず 今月末期限、子育て世帯対象に配布』24年11月27日より算出)。では、差額の約18億円はどこへ消えたのか。答えは、事業を運営する企業への委託費やシステム開発費、そして店舗が支払う決済手数料、そして行政コストという、いわゆる「中抜き」である。納税者が出したお金の24%が、国民の口に入る米に変わることなく、行政や特定の企業に流れ込んでいる。
「世界の真ん中で咲き誇る日本」といった勇ましい言葉
では、政権が変わり、より強力なリーダーシップと壮大なビジョンが掲げられれば、この不毛な状況は打開されるのだろうか。ここで、仮に高市早苗氏が首相に就任したという想定の下、その所信表明と閣僚への指示書を見てみよう。そこには「強い経済をつくる」「世界の真ん中で咲き誇る日本」といった勇ましい言葉が並ぶ。
高市氏の構想の中心は、「危機管理投資」と「責任ある積極財政」だ。経済安全保障、エネルギー安全保障などと並んで「食料安全保障」が国家の重要課題と位置づけられている。農林水産業については、「5年間の『農業構造転換集中対策期間』において別枠予算を確保します。世界トップレベルの植物工場、陸上養殖、衛星情報、AI解析、センサーなどの先端技術も活用し、輸出を促進し、稼げる農林水産業を創り出します」と述べ、農相への指示書でも「2030年に5兆円の農林水産物の輸出目標を実現する」と具体的な目標を掲げている。
一見すると、これは内向きな鈴木農水大臣の政策とは一線を画し、未来志向で前向きなビジョンに満ちているように見える。輸出促進、稼げる農業、先端技術の活用。いずれも日本の農業が生き残るために不可欠な要素であり、筆者が主張する方向性とも部分的には重なる。
最大の欺瞞は、「食料安全保障」という美名の下に隠された保護主義
しかし、その皮を一枚めくれば、根底に流れる思想は鈴木大臣と何ら変わらない、むしろより強固な「国家統制」であることが露呈する。高市氏のビジョンは、結局のところ政府が主導し、政府が戦略を定め、政府がカネを配るという、中央集権的な発想から一歩も出ていないのだ。
最大の欺瞞は、「食料安全保障」という美名の下に隠された保護主義である。農相への指示書にはこうある。「『自給率』と『自給力』について、食料・農業・農村基本計画で掲げられた目標の達成に向けた施策を実施する」。これは、国際標準からかけ離れた日本独自の奇妙な指標である「食料自給率」を維持・向上させるために、国家が介入することを明確に宣言している。自給率を守るという大義名分があれば、高い関税で安価な輸入米を締め出し、国内の生産量を調整して価格を高く維持することが正当化されてしまう。消費者の選択の自由を奪い、高値の農産物を押し付ける構造が、より強固な「安全保障」の論理で塗り固められるだけだ。
国家の過剰な介入によって歪められた市場
決定的なのは、「米の安定供給に向けて、必要な取組を推進する」という一文だ。これは、鈴木大臣の言う「国内の需要に応じた生産」と全く同じ意味を持つ官僚用語に他ならない。「安定供給」とは、すなわち「過剰生産させない」ということであり、「必要な取組」とは、減反政策、すなわち生産調整のことである。結局、高市氏の壮大なビジョンも、米政策に関しては、農家を縛り、供給を絞り、価格を吊り上げるという現行の枠組みを温存、あるいは強化する結論にしか至らないのである。
「責任ある積極財政」による「危機管理投資」もまた、危険な罠をはらんでいる。政府が「戦略分野」を定め、そこに「集中投資」するという発想は、官僚が市場より賢いという傲慢さの表れだ。どの技術が伸び、どの産業が世界で勝てるかなど、誰にも予測はできない。政府主導の投資は、えてして政治的な思惑に左右され、非効率な補助金漬けの産業構造と、それに群がる既得権益の温床となる。それは、まさに「おこめ券」の中抜き構造が、国家規模で再現されることに他ならない。
結局のところ、鈴木大臣の小手先の弥縫策も、高市氏の壮大な国家戦略も、国民を管理し、市場を統制しようとする点において同根である。彼らの視線は、生産者、それも既存の農家のほうにしか向いておらず、日々、物価高に苦しみながら食卓を守ろうとする国民全体の生活という最も重要な観点が抜け落ちている。
スーパーの米売り場で立ち尽くす人々が抱える迷いは、単なる買い物の悩みではない。それは、国家の過剰な介入によって歪められた市場で、自由な選択を奪われた国民の姿そのものである。米政策の不毛な議論を終わらせる時が来た。農家を信じ、市場を信じ、そして消費者を信じること。国家の役割は、国民を管理することではなく、国民の自由な活動を最大限に保障することにある。その基本原則を、現政権も、未来の政権も、猛省すべきである。