高市肝いり“売春防止法改正”に「性産業を経済構造として捉えるべき」コラムニスト・村上ゆかり…安易な規制は安全圏から人を追い出す

2025年11月11日、衆議院予算委員会において高市早苗総理が売買春に関する重大な発言を行った。総理は、成人間の買春について罰則を導入する可能性を含め、法務大臣に対し制度の在り方の検討を指示した。この指示は、売春防止法が制定されて以来ほとんど手つかずの状態であった法体系を大きく転換し得るものである。コラムニストの村上ゆかり氏は「買う側への罰則導入は一定の合理性がある」とする一方で「地下化のリスクを踏まえれば性産業を経済構造として捉える視点が必要だ」と指摘する。村上氏が解説していく――。
目次
「売る側」だけに罰則があり、「買う側」は規制されないいびつな現状
法務省側もこの指示を受けて即座に反応し、11月14日の平口洋法務大臣の閣議後会見では、「社会状況を踏まえ規制の在り方について必要な検討を行う」と述べ、議論が事務方レベルへと移行していることを示し、制度改正の可能性が現実味を帯びていると説明された。
日本の売春・買春制度は、法制度の構造と実態の構造が大きく乖離している。売春防止法は「対償を受けて性交すること」を禁止しているが、法が規制する中心は「売る側」と「斡旋する側」であり、買う側は規制の対象外である。1950年代の制定時に「女性は被害者」「男性は加害者として罰する必要は低い」という、当時の価値観が強く影響した構造である。1956年の法律が2025年の取引構造に対応できないのは当然だ。
FNN(2025年11月)のニュース記事では「売春防止法は売る側には罰則があるが買う側には罰則がない」と指摘されている。SNSの普及、オンライン上の匿名取引、パパ活アプリの普及―――これらが売買春の構造を大きく変化させた。買う側に刑罰を科さないまま制度を運用してきた結果、「売る側だけが一方的に責任を負う半世紀前の法体系」がそのまま温存されてしまったという問題意識から、この総理発言は、この非対称性を正面から見直す契機として注目されている。
風営法との二重構造も問題を複雑化している。風営法は、性交を伴わない性風俗サービス業(ソープランド・ヘルス・ピンサロ等)を許可制で認めている。名目上「本番行為」は禁止されているが、実態としては「暗黙の本番」や「裏オプション」が存在することは業界内部では周知の事実だろう。建前上は売春禁止でありながら、実態としては「合法・半合法・違法」の三層構造が地続きで存在する状態を生み出している。
売春形態の多様化に法律が追い付かない
さらに、SNS・配信アプリなどを経由した個人売春が爆発的に増加した。パパ活をめぐる取引はその典型例である。匿名のDM、暗号化されたメッセージ、高速なマッチング、仲介業者を介さない直接交渉―――これらは売春防止法の想定外であり、現行制度では取り締まりが極めて難しい。
警察庁の統計でも、SNSを通じた児童買春・性犯罪の増加が継続的に報告されている。性サービス市場が多様化し、対価の発生する性行為が必ずしも「困窮女性のやむを得ない行為」ではなく、大学生、会社員、SNSインフルエンサーなど、経済的困窮とは無関係の層も参入している。制度がこの複合的市場に追いついていないため、警察・行政は対症療法的な対処しかできない。
買春側への罰則導入には需要の抑制効果があるという意見がある。
北欧モデルである「スウェーデン型制度」の分析では、街頭売春の件数が大幅に減少したとされる。スウェーデン型制度とは、1999年に世界で初めて導入された制度で、売る側(性労働者)は処罰せず、買う側(購入者)だけを犯罪として処罰する売買春規制モデルである。制度導入後、スウェーデン政府は「街頭売春が減少し、性購入が社会的に恥ずべき行為になった」と評価している。
買う側への罰則導入は被害者保護の観点から一定の合理性
買う側の規制によって、搾取構造を形成するブローカー・斡旋者・暴力団等の収益源が減る可能性がある。売る側だけでなく買う側を規制することで、違法業者に流れる金の流れが絞られる可能性がある。児童買春・弱者搾取の領域に対して強力な抑止効果が期待される。SNSを通じた児童買春の増加が顕著である日本では、買う側への罰則導入は被害者保護の観点から一定の合理性を持つ。
しかし、買春の規制は重大なリスクも存在する。買春規制を導入した場合、警察は証拠収集のために密室化した取引、暗号化されたSNS、匿名アカウント等を取扱う必要がある。取締り負担が急増するうえ、無実の者が誤認逮捕されるリスクも懸念される。
性労働者の人権問題も深刻なリスクだ。買春規制が進むと、性労働者は「買う側が処罰されるため表に出られない立場」に追い込まれ、仕事の交渉力を失う可能性がある。
そして、最も懸念されるのは、地下化(アングラ化)である。
規制したスウェーデンで進んだ地下(アングラ)下
Alberta Law Review(カナダ)の論文では、スウェーデンの制度後に「売買春は街頭から屋内・オンラインへ移行しただけ」と指摘されており(albertalawreview.com、2020年代分析)、EU加盟国を対象としたミックス研究のシステマティックレビュー(Sexuality Research and Social Policy 掲載、Oliveira ら, 2023)では、「刑事的・規制的なアプローチはいずれも、性労働者の健康・安全・生活条件に一貫して負の影響を与えている」と結論付けている一方で、性産業全体の「総量」を大きく減らしたと断言できるデータは乏しいとしている(researchgate.net、2023年)。地下化が進めば、性労働者の安全・健康・労働条件の把握が困難となり、暴力団・半グレ・外国人ブローカーなどの介在余地を大きくする。
海外事例の中で最も注目されているのが前述した北欧モデルである。スウェーデン政府は制度後20年間の検証において「売買春の需要が減少し、性購入は社会的に恥ずべき行為となった」との見解を示しているが、反対意見も極めて強い。
暴力・恐喝・料金未払いのリスクが増したという証言
性労働者団体 Scot-PEP は、制度導入後に勤務環境がより危険化し、依頼者との交渉に必要な時間が減り、急かされる取引が増えるため、暴力リスクが増加したと警告しており(scot-pep.org.uk)、研究者も「規制後、売買春は地下化し、労働者がより孤立した」と分析し、この点を支持している(Alberta Law Review)。
北欧や英国、カナダなどの調査では、買春処罰化や過剰規制によって、性労働者が安全に働くために不可欠な交渉時間や逃げ場を失い、暴力・恐喝・料金未払いのリスクが増したという証言が繰り返し示されている。当事者は、規制の理念ではなく、その結果として生じる具体的な生活の変化を体験している。日本でも、風俗産業やAV業界、オンライン売買春に関わる人々の声を、匿名性や安全性に配慮しつつ丁寧に拾い上げ、制度の影響を予測する素材とする必要がある。海外からの教訓を踏まえれば、「保護」の名のもとに当事者を排除する立法ではなく、「当事者とともに設計する」立法への転換が求められる。
安易に規制を強化すれば、「安全な場所」から人を追い出す
2022年に成立、施行されたAV新法(正式名称「AV出演被害防止・救済法」)は、性産業規制の教訓を示す典型例となっている。制度の目的は望まないAV出演の被害防止であるが、契約書等の交付から1か月間の撮影禁止、公表まで4か月の猶予、そして公表後1年間の無条件解除権などだ。規制を強化しすぎたとも言われる。
その結果、撮影中止や収入減、新人出演者の減少のほか、地下市場を肥大化させ、危険な環境での従事を増加させるリスク等を指摘する意見がSNSを中心に当事者等から出ている。
性産業の経済構造は、許可を得て営業する店舗型風俗、名目上はグレーな出張・オプション型サービス、SNSやパパ活アプリを介した個人売春、外国人ブローカーや暴力団が支配する違法レイヤーなど、複数の階層が存在している。それぞれ行政監督や税務、反社会的勢力排除の圧力の強さが異なり、許可業者ほど監視は強く、地下に近づくほど監視も保護も届かなくなる。買春規制や過剰な罰則強化は、相対的に監視と税捕捉が効いている上層のレイヤーを縮小させ、その需要をより匿名性が高く、監視が弱い下層レイヤーへ押し流す力として働き得る。この構造を踏まえなければ、規制がどの層を縮小させ、どの層を肥大化させるのかを適切に評価できない。
地下に潜れば暴力団や半グレの資金源となる
表のレイヤーにとどまる取引は、法人税や所得税、消費税の対象となり、反社会的勢力の排除や労働環境の最低基準の適用も比較的行いやすい。これに対して、地下レイヤーに流れる資金は税務当局の目から完全に外れ、暴力団や半グレの資金源となりやすい。買春規制が設計を誤れば、性産業の総量は大きく減らないまま、課税可能な取引だけが減り、治安リスクの高い領域に人と金が集中する結果になりかねない。
性サービス市場における需要は、価格やリスクが上昇しても一定程度残る、いわゆる需要の弾力性が低い性質を持つことが海外の研究により示されている。韓国の性サービス利用者を調査した研究(Won Soon, 2012, Berkeley経済学部卒論)は、「性サービスの価格が上昇した場合、平均的な買い手の利用頻度の変化は小さく、価格変化に対して比較的非弾力的である」と指摘している。イギリスや欧州諸国を対象とした研究(Della Giusta et al., 2021)では、「買春規制が導入されても、行動変容が主に『どこで・誰と取引するか』という形で起きるだけで、需要そのものが劇的に消失するわけではない」という結論が示されている。
情報が不足した市場では質の良い業者が撤退
つまり、性サービス市場においては、政策による直接的な需要抑制効果は限定的であり、規制が強まるほど、取引は「匿名性が高く危険な領域」に移行する可能性が高まる。
これらの研究が示すとおり、買春規制や罰則の議論においては、「需要をなくすことは困難であり、しぶとい需要がどの取引層へと流れるのか」を見据えて設計を行わなければならない。需要を見誤れば、供給側の性労働者だけが追い詰められ、より搾取や暴力のリスクが高い領域に押し出される危険がある。性産業に係る制度設計には、倫理観や刑罰強化だけでなく、経済構造と人間の行動原理を踏まえた視座が不可欠だ。
需要が残る限り市場は必ず別の形で存続する。
性産業に係る規制において守るべきは、強制、搾取、詐欺、脅迫、未成年被害である。しかし、安易に規制を強化すれば、「安全な場所」から人を追い出し、地下市場を拡大し、危険な現場を増やしてしまう。性産業は「叩けば減る」という単純な構造では操作できないのだ。
規制を倫理だけで語るのではなく、経済構造と現実的な人の行動を踏まえて政策を組み立てるべきである。当事者等の意見を踏まえずに立法したAV新法の教訓を忘れずに議論が進むことを、筆者は心から願っている。