柏崎刈羽原発「知事、再稼働容認か」報道…世界のリベラルが原発OKに転向するなか「原発ゼロ」にこだわる立民は反発するか?

東京電力柏崎刈羽原発の再稼働を巡り、花角英世・新潟県知事が要するする見方が強まっている複数のメディアが報じた。日本経済の未来を左右するエネルギー政策について、経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一は「電力安定供給と経済成長、そして地球環境のために、新規制基準に適合した原発は可及的速やかに再稼働すべき」と語る。刈羽原発の再稼働を巡る問題について、小倉氏が解説していく――。
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「県民投票で県民の信を問うべき」と主張するが
この重要な局面において、一部の政治家が自己の野望のために国の活力を削ぎ落とそうとしている。柏崎刈羽原子力発電所(KK原発)の再稼働問題は、まさにその象徴と言えるだろう。新規制基準に適合し、規制当局の「お墨付き」を得た原発が、なぜこれほどまでに再稼働への道を阻まれているのか。その背景には、再稼働に正面から向き合わない『政治』があり、立憲民主党という政党がある。
新規制基準に適合した原発とは、原子力規制委員会がその安全性を厳格に審査し、合格を与えたものである。これは、科学的・技術的な観点から「安全に運転できる」と国が認めた証に他ならない。米山隆一議員は、X(旧Twitter)上で「新適合性審査に合致した原発の再稼働は地元の判断に委ねる」(10月13日)という個人的な案を提示している。一見すると、地元への配慮を伺わせるような発言だが、その裏には来年の新潟県知事選挙を見据えた意図が透けて見える。
新潟県議会では今年4月、再稼働の是非を問う県民投票条例案が否決された。県議会は、間違いなく間接民主主義の名の下に県民の代表が集い、民意を反映する場である。しかし、米山議員は「再稼働には民主的なプロセス(=県民投票)が必要」と頑なに主張し、再稼働を棚上げにしようとしている。県議会で正式に否決されたにもかかわらず、なお「県民投票で県民の信を問うべき」などと主張し続けるのは、もはや「民意」という言葉の乱用であり、議会制民主主義に対する侮辱とも捉えられる。さらに言えば自身の政治的立場を有利にするための、県民に対する安易な責任転嫁ではないだろうか。
すでに地元では、政財界を中心に再稼働を求める声が増えつつある。経済的恩恵や電力安定供給への期待が背景にあるのは明白だ。それにもかかわらず、いたずらに議論を長引かせ、再稼働を遅延させることは、新潟県、ひいては日本全体の経済的損失を拡大させることに繋がる。米山議員はこうした現実から目を背けて、県民の生活と日本の未来を犠牲にしようとしているのではないだろうか。
世界をみればリベラル・環境政党も原発容認へ
原発の再稼働を遅らせることは、地元経済に甚大な悪影響を及ぼす。新潟県が今年4月に公表した試算によれば、KK原発の6、7号機が再稼働する場合と廃炉する場合を比較すると、10年間で3,100億円以上の経済波及効果、そして2,400億円もの税収とそれに相応する多くの雇用が失われる。地方交付金や政府からの支援に依存する一方で、自ら経済的な活力を生み出す絶好の機会を放棄しているとすれば、その矛盾は看過できない。政府からのお金に期待するのではなく、自らの力で経済を立て直す努力こそが、真の地方創生ではないだろうか。
さらに深刻なのは、電力不足のリスクである。今年の夏は史上最高に暑い夏だったらしいが、資源エネルギー庁は来夏、首都圏などで節電要請が必要な水準まで電力需給が逼迫する見通しを公表している。電力は、現代社会のあらゆる活動を支える基盤であり、その安定供給が脅かされることは、産業活動の停滞、国民生活の混乱に直結する。電力不足に陥れば、企業は生産活動を縮小せざるを得なくなり、収支や雇用にも悪影響を及ぼす。そして、何よりも酷暑の日にブラックアウトし、冷房を使えない事態になれば、国民の生命と安全を脅かすことは間違いない。約4,000万人が居住する首都圏、ひいては東日本全体の電力需給はそれほど危ういのである。
世界に目を向ければ、原発保有国のリベラル政党や環境政党ですら、気候変動対策とエネルギー安全保障の観点から、原発容認へと舵を切っている。
未だに「原発ゼロ」を綱領に明記することに固執
例えば、フィンランドの緑の党は、2022年の党大会で、長年の反原発路線から一転、脱炭素エネルギー源として原子力を支持する方針を採択した。これは、欧州で初めての明確な支持転換として注目されている。
ドイツの緑の党も、ロシア・ウクライナ危機によるエネルギー不足を受け、残存する原発の運転延長を容認する決定を下した。党内の激しい議論を経ての決断は、現実的なエネルギー政策へのシフトを象徴している。
さらに、アメリカの民主党は、2020年の党綱領で48年ぶりに核エネルギーを支持する内容を明記し、バイデン政権下で新技術投資や既存炉の維持を推進している。イギリスの労働党も、新原発建設推進をマニフェストに掲げ、小型炉(SMR)の建設加速を打ち出している。
これらの事例が示すのは、気候変動対策、エネルギー安全保障、そして再生可能エネルギーの限界認識という、世界共通の課題に直面した際の、リベラル政党の現実的な選択である。原発はCO2を排出しないクリーンなエネルギー源であり、地球温暖化対策に不可欠である。さらに、最新の原発ほど安全性が高く、既存の火力発電に比べて環境負荷も低い。
にもかかわらず、立憲民主党は、未だに「原発ゼロ」を綱領に明記することに固執し、具体的な代替案を示すことなく、議員によっては再生可能エネルギー100%を訴える議員もおり、原子力と再エネの二項対立的議論を通じて、国民の不安を煽り続けている。これは、世界の潮流から完全に乗り遅れた、時代遅れの政策と言わざるを得ない。立憲民主党は、もはや「リベラル」とは言えない、偏狭なイデオロギーに囚われた集団と化しているのではないだろうか。
立憲民主党新潟県総支部連合会の声明とは…
立憲民主党は、2025年参院選の総括で「事実上の敗北」を認めざるを得なかった。政策の曖昧さと実行力の欠如が主因と指摘され、国民民主党や参政党に比べてSNS戦略の遅れも露呈している。このような状況下で、「原発ゼロ」という地元経済を崩壊させかねないイデオロギーに固執し、地元住民の不安を煽ることは、党勢挽回のための安易な手段に過ぎない。
11月1日、立憲民主党新潟県総支部連合会は、柏崎刈羽原発について「実効性のある避難計画と民主的プロセスによって直接県民の信を問うた県民合意を得ないままでの再稼働は認められない」とする声明を出した。再稼働に関する県民投票は今年4月の県議会で否決されたにも拘わらず、まだ同じ事を訴えている事にも驚きだが、更に驚くべきは立憲民主党新潟県連代表の西村智奈美衆議院議員(同党幹事長代行)が、柏崎刈羽原発が現時点で実効性のある避難計画を策定していると言えるか、と問われたのに対し、「原子力規制委は一応のお墨付きを出している状況なので、個々の評価については今は留保したい」(朝日新聞、11月2日)と答えていることである。実効性のある避難計画について批判する一方で、評価は規制委がしているので差し控えるでは説得力はまるでなく、大いなる矛盾と言えるのではないか。
彼らは、電力の安定供給や経済成長という国家の喫緊の課題よりも、目の前の選挙での票集めを優先しているのだ。これは、政党としての責任放棄であり、国民に対する背信行為である。
科学的根拠に基づいた現実的な政策を
現代において、原発の安全性は飛躍的に向上している。新規制基準は、東日本大震災の教訓を踏まえ、世界で最も厳しいレベルで策定されたものであり、国際原子力機関(IAEA)もそれを認めている。その基準をクリアした原発を、いたずらに再稼働させないことは、まさに「愚の骨頂」である。
立憲民主党の責任放棄によって新潟県民の生活と我が国のエネルギー安全保障、そして地球環境という、より大きな問題が犠牲になることは断じて許されない。
国を愛する政治家であれば、目先の選挙にとらわれず、国家の長期的な視点に立ち、国民全体の利益を追求すべきである。リベラルの看板を掲げるならば、世界の潮流を理解し、科学的根拠に基づいた現実的な政策を提示すべきだ。
支持されなくとも「原発ゼロの実現!!」を叫び続ける立憲民主党の姿勢は、日本経済にストップをかけ、地元経済の息の根を止め、電力危機を招き、国際的な気候変動対策から孤立する道を歩むことに繋がる。
我々は、国民と地域の未来を考える政治家が、勇気を持って現実的な政策を実行することを強く望む。そして、新潟県民も、自身の生活と地域の経済、そして日本の未来のために、賢明な判断を下すことを期待したい。電力安定供給と経済成長、そして地球環境のために、新規制基準に適合した原発は可及的速やかに再稼働すべきである。