〈コメ最高値〉余っているのに高騰「農協の吊り上げ」重大証言!農家も国民もバカにした「お米券」配布…自民党に農政を任せてはいけない

コメが相変わらず高い。そうなれば国民の生活にも大きな影響を与える。なぜこんな状況が続いているのか。経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一氏は、この騒動の主犯格にJAの名前を挙げる。一体どういうことなのか。小倉氏が詳しく解説していく――。
目次
史上最高値を更新したのに、倉庫にはお米が余る
スーパーマーケットの陳列棚に鎮座する、一袋のお米。その真っ白な袋には今、4,000円以上もの値札が貼られている。かつてない高値だ。ずしりと重いその袋を手に取るとき、多くの消費者はため息をつき、生活の厳しさを肌で感じるだろう。
しかし、この重みは単なる物理的な重量ではない。日本という国が長年にわたって積み重ねてきた、システムそのものの腐敗、既得権益の醜悪さ、そして「国民の生活」を人質に取った政治の欺瞞。それらすべてが凝縮された、鉛のような重みなのだ。
11月、私たちの目の前には奇妙な光景が広がっている。「令和の米騒動」という騒がしい季節が過ぎ去った後、そこには「価格は史上最高値を更新し続けているのに、倉庫にはお米が余って溢れかえっている」という、不可解なパラドックスが残された。常識的に考えれば、モノが余れば安くなるはずだ。需要と供給のバランスが崩れれば、価格は調整される。それが世の中の理だ。だが、日本の稲作地帯において、その当たり前の道理は権力を持つ者たちの手によってねじ曲げられている。
なぜ、このような不条理がまかり通るのか。
この騒動の主犯格とも言うべき巨大な組織
その原因を探るために、まずはこの騒動の主犯格とも言うべき巨大な組織の振る舞いを直視しなければならない。農業協同組合、通称「JA」である。
彼らは「農家と共に歩む」という美しい看板を掲げている。助け合いの精神で結ばれた組織だ、と。しかし、今回の騒動において彼らが演じた役割は、弱者の味方などではない。市場を混乱させ、価格を不当に釣り上げ、最終的に自らの首を絞めることになった、未熟で強欲な扇動者そのものであった。
集英社オンライン(11月19日「〈コメ最高値〉「農協の吊り上げは異常だった」米業者が明かす価格暴騰と失速の真相「政府も進次郎前大臣も問題だった」」)は、この点について流通業者の生々しい証言を報じている。ここに引用しよう。
「高く買えば、もっと高く売れる」という幻想
「田植えの時期から農家さんのところに色々な買いが入ってきていたので『これはまずいぞ』と思っていました…(中略)農協さんが価格をあげて、最終的に個人の農家から仕入れるのは34000円くらいまで吊り上がりました」(集英社オンライン)
この証言が突きつける事実は重い。JAは、概算金という名の買取価格を幾度も吊り上げることで、民間業者との仕入れ競争を過熱させた。まるでバブル期の亡霊のように、「高く買えば、もっと高く売れる」という幻想を振りまき、相場を実需とかけ離れた高みへと押し上げたのだ。
その結果が、現在の惨状である。JAという組織は、日本の農業にとって巨大な足かせになりつつある。彼らは肥料や農薬、農業機械を市場価格よりも割高な値段で農家に販売する。そして、収穫された作物の流通を独占し、そこから手数料を徴収する。
そもそも、JAのような中間組織が農業にとって本当に有益なのか、という根本的な疑問がある。これについては、海外の興味深い研究データが存在する。イタリアのクレノス研究所(CRENOS)などが発表した、生産者協同組合と通常の民間企業を比較した研究論文「COMPARATIVE EFFICIENCY OF PRODUCER COOPERATIVES AND CONVENTIONAL FIRMS IN A SAMPLE OF QUASI-TWIN COMPANIES」である。この研究では、同じ地域、同じ環境下にある協同組合(日本で言えばJAのような組織)と、一般の民間企業の効率性を比較分析している。
JAが農家のための組織ではなく、組織のための組織に
その結果は衝撃的だ。
研究によれば、協同組合形式の組織は、通常の民間企業に比べて「技術的な効率性が低い」という結論が出ている。つまり、同じモノを作るにしても、協同組合の方が無駄が多く、下手だということだ。さらに深刻なのは、協同組合は「規模の不経済(decreasing returns to scale)」の傾向を示している点である。
普通、企業は大きくなればなるほど効率が良くなるものだが、JAのような協同組合組織は逆だ。組織が肥大化すればするほど、効率が悪くなり、競争力を失っていく。これは、JAが農家のための組織ではなく、組織のための組織と化している日本の現状と不気味なほど一致していないだろうか。
非効率な怪物を肥え太らせてきた歴代の政治家
そして、この非効率な怪物を肥え太らせてきたのが、歴代の政治家たちによる愚策の数々だ。
政治家たちは、口を開けば「食料安全保障」や「農家を守る」といった美辞麗句を並べる。しかし、彼らの行動が示しているのは、農業を守る意志などではなく、巨大な集票マシーンの機嫌を取り、選挙での組織票を確保したいという、浅ましい欲望だけである。
前農水大臣の小泉進次郎氏が演じたドタバタ劇を思い出してほしい。
コメ不足が叫ばれた際、小泉氏は「備蓄米放出」を声高に宣言した。テレビカメラの前でスポットライトを浴び、国民の不安を解消する英雄を気取ったのかもしれない。だが、その結果は何だったか。
備蓄米の放出は、事態を解決するどころか、市場をさらに歪める結果に終わった。放出されたのは、古くて品質の劣るコメばかりだ。当然、値段は安い。しかし、消費者が求めていたのは「いつもの美味しいお米」であり、安かろう悪かろうの古米ではなかった。
結果として、市場には「誰も欲しがらない安い古米」が溢れただけで、私たちがスーパーで買う「普通のお米」の値段はほとんど下がらなかったのだ。むしろ、変なコメが流通したことで、まともなお米の希少価値がさらに強調され、高止まりを招く皮肉な結果となった。
「お米券」という国民を愚弄する最も悪質なペテン
では、政権が交代し、高市早苗総理と鈴木憲和農水大臣のコンビになって、事態は好転したか。残念ながら、状況はより深刻な泥沼へと沈んでいる。彼らは一見すると、派手さを排し、実務的で冷静な対応をとっているように見える。大規模農家の一部からは「現実的だ」と評価する声も聞かれる。
だが、彼らが懐に隠し持っている「お米券」という政策こそが、国民を愚弄する最も悪質なペテンである。
報道によれば、政府は物価高対策の一環として、自治体がお米と交換できるクーポン券を配布することを推奨しているという。
これほど愚かで、これほど腐敗した発想があるだろうか。
世界的な実証研究を見ても、農家への直接支払いを含む補助金政策が、非効率を生み出していることは明白だ。補助金をもらえるとなれば、農家は「どうすれば売れるか」を考えるのをやめ、「どうすれば補助金をもらえるか」を考えるようになる。イノベーションは止まり、努力する者が馬鹿を見る世界になる。これは世界中の経済学者が指摘している事実だ。
政府とJAによる過剰な「介入」と「支配」
「お米券」のような子供騙しの施しは、国民を「お上から恵みを与えられなければ生きていけない無力な存在」として扱うことに他ならない。私たちは家畜ではない。自らの頭で考え、自らの財布で選択し、生活を営む自律した人間である。
日本の農業が直面している危機の根源は、政府とJAによる過剰な「介入」と「支配」にある。
半世紀以上にわたる減反政策。補助金による飼い殺し。そして今回の備蓄米放出とお米券配布。これらはすべて、農家から「自分で考える力」を奪い、彼らを依存体質に変えてしまう毒薬であった。「政府が何とかしてくれる」「JAが買い取ってくれる」。その甘えがある限り、事態は永遠に解決しない。
世界を見渡せば、日本のコメを高値で求める人々は無数に存在する。円安という環境もある。くだらない規制や組織のしがらみを断ち切れば、意欲ある農家は海を越えてその価値を証明できるだろう。称賛されるべきは、組織に媚びず、補助金に頼らず、自らの才覚と努力で大地と向き合う、孤高の精神を持った農家たちである。
彼らは知っている。最高の肥料とは、政府から降ってくる金でも、効果のないお米券でもなく、農家自身の情熱と創意工夫であることを。そして、最高の販路とは、非効率なJAが用意した既定のルートではなく、自らの実力が正当に評価される、無限に広がる世界市場であることを。