「あのイカキングどうなった」行政の基本原則に反する重要な問題…米・英監査機関も「重大リスク」とみなす“正当化”「どうして我々の税金が…」

11月19日に文春オンラインが、石川県能登町に所在する「イカの駅つくモール」において、全長13メートルの巨大モニュメント「イカキング」について報じた。記事では、イカキングは2020年6月にコロナ臨時交付金2500万円を用いて設置され、当初「税金の無駄遣い」と批判が寄せられた事実を紹介しつつ、現在では年間約7万人の来訪者が存在し、「経済効果6億円」「宣伝効果18億円」という自治体試算を取り上げた。しかし国や自治体の税金の使い方について詳しい、コラムニストの村上ゆかり氏は疑問視する。「経済効果は科学的根拠を欠いた“数字だけの成功物語”に近い」。村上氏が詳しく解説していく――。
目次
果たしてイカキングは本当に成功したのか
文の記事は、イカキング設置の是非について触れているように見えるが、全体の構成は「批判を乗り越えて成功した」という物語に寄せられている。賛否が大きく分かれたとされるイカキングだが、果たしてイカキングは本当に成功したと言えるのだろうか。
最も直感的に問題と感じられるのは「経済効果6億円・宣伝効果18億円」という自治体算定の信頼性である。記事ではこの数字が提示され、成功と結び付けているが、観光経済効果の算定には純増効果と転換効果の区別が不可欠である。純増効果とは“その施設がなければ訪れなかった人”による支出であり、転換効果とは“本来別の観光地に行くはずだった人”の流入である。この区別が欠落すると、経済効果として出された数字は算定の前提が不明で、科学的根拠を欠いた“数字だけの成功物語”に近い。
米国国立公園局の報告では、公園訪問者の総支出額264億ドルが示される一方、「支出額が雇用創出・所得増加に直結するわけではない」との注記が存在する(NPS, 2023)。観光経済の波及効果には、部門別乗数・地域内調達率・雇用吸収力など多くの要素が絡むため、単純な“消費額=経済効果”とはならないのだ。自治体によるモニュメントの経済効果試算は、欧米の学術研究においても「恣意性が入りやすく外部検証が困難」と指摘され続けており、記事が示す経済効果はこれを無視している。
イカキングには他にも多数の論点がある。まず、交付金の原資と制度目的との乖離である。イカキングの原資である地方創生臨時交付金は、感染症対策、地域生活維持、地域経済の回復を目的として設けられており、イカキング=恒久的観光モニュメントの建設がこの目的と整合するかは強い疑問が残る。
7万人の来訪がどの程度の純増?モニュメントとの因果関係は?
地域政策としての論点では、能登の抱える根本問題は人口減少、漁業衰退、高齢化であり、モニュメント単体では構造問題の解決と直結しない。観光一本足打法の危険性を指摘する研究は多いにもかかわらず、記事にはその視点が欠落している。
次に、来訪者数7万人という数字の扱いである。九十九湾周辺は従来から観光客が存在する地域であり、特に震災後は“支援観光”が増える傾向が観光庁の資料にも示されている(観光庁「被災地観光の動向」2022年)。つまり、7万人の来訪がどの程度の純増かは不明であり、モニュメント設置との因果関係も見当たらない。
維持管理コストの問題もある。芝生劣化は来訪者増の象徴として描かれるが、実際には維持費増大の兆候でもある。モニュメントは作った瞬間がピークであり、維持費が将来重荷になる例が欧州では数多く報告されている。
行政の基本原則に反する重要な問題
さらに重要な論点は、「公共交付金を制度目的から逸脱して使用した後、イカキングは“効果があった”として使用後に論理付けた」、つまり、後付け論理が許容されていることである。これは行政の基本原則に反する重要な問題だ。
税金・交付金の使用には、「目的適合性」「手続きの正当性」「説明責任」「透明性」「再現可能な費用対効果」が不可欠とされている。事後に成果があったとしても、目的外使用を正当化する根拠にはならない。モニュメントの効果が仮に存在したとしても、交付金制度を逸脱した支出が正当化されるわけではない。これが、行政原理の根幹である。
能登町が提示する「経済効果6億円」「宣伝効果18億円」が本当に存在するとしても、制度目的から逸脱した支出が許容されるならば、公金の使用基準が根底から崩壊し、全国の自治体が「話題作り」のために交付金を消費してしまう危険性さえ生じる。行政は“結果が良かったらそれで良し”は論外であり、“手続きが正しかったから”正当化される、この原則こそが民主国家の公共財政を支える、極めて重要な論点だ。
海外研究・監査報告には、公共モニュメント・文化観光資源と地域経済の関係を評価した多くの蓄積がある。例えば、文化遺産観光の経済実証研究(Cerisola & Panzera, 2024)は、利益と負の側面を同時に扱い、「持続可能な観光の実現には地域の吸収力・環境負荷・維持管理費用の総合的評価が必要」と結論づける。
米英監査機関も重大リスクと見なす問題点
モニュメント設置が“目先の話題”を作ることは容易だが、長期的な財政・環境・住民負荷によって地域自体を疲弊させる例が多い。欧州委員会(EU, 2019)も同趣旨の警告を発している。
公共支出の監査制度はさらに厳格である。英国・米国の監査機関は「交付金の目的外使用が後付けの成果評価で正当化される」状況を重大なリスクとみなす。Cascade Public Media(2023)は「コロナ交付金の使用に関し、監査基準の不備と説明責任の欠如を理由に、複数自治体を改善指導した」と報じている。これらの研究と監査報告を踏まえると、イカキングを“成功例”とみなし、本来の制度目的から逸脱した交付金使用を容認する態度は、学術的にも行政的にも妥当性を欠き、行政運営の信頼を根底から脅かす。
公共財政の基本原則は、いうまでもなく、税金という国民の負担を伴う財源を、制度目的に合致した形で使用し、説明責任を果たす点にある。「交付金による巨大モニュメントが観光客を呼び効果」と結論付ける姿勢が広がれば、全国の自治体が「話題作り」を優先して公金を投入し、本来優先すべき医療・福祉・防災・インフラ更新といった基幹分野が後回しになる。
「結果的に話題になった」という安易な成功物語
イカキングは、むしろこうした“目的外支出が結果的に肯定されてしまう構造”を露呈させた事例として受け止めるべきである。予算の根拠となる税負担は国民一人ひとりの生活から生じており、公共支出の判断には本来、高い慎重さが求められる。観光モニュメントのように、政策目的との整合性が薄い事業に巨額の税金を投じてしまうという失敗は、自治体が「緊急性」「必要性」「代替可能性」「持続可能性」といった基本的な評価軸よりも“話題性”を優先してしまった結果である。こうした判断が繰り返されれば、結果として公共サービスの質が低下し、地域の中長期的な発展を阻害する。
モニュメントへの単発の投資が一時的な話題を生むことはあるが、それが長期的な地域振興につながるという保証はどこにもない。むしろ観光庁は、「観光資源の持続可能性」の研究では「映えスポット型の観光資源は、短期間で話題性が失われ、持続的な収益基盤としては不安定である」と指摘している(観光庁「観光資源の持続可能性に関する研究」2023)。イカキングも同じだ。イカキングというモニュメントが、真に地域の未来に資する存在となるために必要なのは、「結果的に話題になった」という安易な成功物語ではなく、まず行政が当時の判断を率直に反省し、制度逸脱の経緯を正確に検証する姿勢である。
なんであんなものに我々の税金が使われたのか
そもそもイカキングに対して批判が起きた理由は、単純に「税負担や社会保障負担が高い中、あんなものに我々の税金が使われたのか」という、ごく当たり前の疑問と怒りが一定数の国民の心に自然と湧いたからではないか。そのごく真っ当な感覚こそ、公共財政を支える土台である。行政が制度目的から逸脱した支出を行い、後になって「効果があった」と言い訳することを許してしまえば、同じ過ちが繰り返され、公共サービスの質が下がり続け、国民負担だけが重くなる。こうした構造を断ち切るために必要なのは、失敗を成功に見せかける物語ではなく、誤りを誤りとして認める勇気である。
イカキングは、成功の象徴として語られるべきではなく、税金の使い方を誤ったとき、誰がどのように検証し、どこで線を引くべきかを考え直すための教訓ではないか。
公共財政の信頼は、一度失われれば取り戻すのに長い年月を要する。だからこそ、この事例から導くべき結論はシンプルである。
「税金を無駄に使うな。」
その当たり前の原則に立ち返ることでしか、日本の行政は健全な姿を取り戻せない。その原点を忘れずに、国民一人一人が行政を監視していき、無駄な税負担が少しでも減ることを筆者は心から願っている。