思想性とエンタメ性との調和による舞踏の体現者…羽生結弦のDA PUMP『if…』を理解できないなら、それは「取り残されし者」

3回転ループという調和、それが羽生結弦
羽生結弦のDA PUMP『if…』。
私はAdo『阿修羅ちゃん』に続き、『if…』を「フィギュアスケートの革新のみならず、現代表現芸術の革新」と説いた。
あの3回転ループという調和、それが羽生結弦だ。あれは「調和」である。組み込むとか、挿入ではなく「調和」だ。極めて自然で、まるで液体のように音楽と調和し、溶け込んでいる。
羽生結弦という存在に内在するユングの思想
飛散する氷の粒にも私は着目した。羽生結弦は自身のシルエットも非常に重要視しているが、エッジの美学は氷の粒の飛散にも現れる。『if…』ならラップパートがまさにそれだろうか。音に嵌めるとか、詞に嵌めるとか、それはもちろんあるが、私はやはりそこに「調和」があるのだと思う。いつも美しいが、『if…』の氷の飛沫はとくに美しく思う。『if…』の切ない歌詞との調和、それは飛沫という言葉では足りない。そう、泡沫(うたかた)のようだ。調和はとても心地良い。羽生結弦とはそうした存在だ。