歴史は、時代はこの青年にどれだけの重荷を与えようというのか…羽生結弦「氷上を苦悶する、美。そして、闇。」

(前編より続く)
目次
羽生結弦が羽生結弦の見つめる眼もまた、厳しい
NNNドキュメント『「職業 羽生結弦」の矜持』
羽生結弦は「羽生結弦という緊張」という言葉で「矜持」を表現した。
羽生結弦を見つめるもうひとりの羽生結弦が羽生結弦に求める緊張、これは氷上に限らず「素材として頑張る」「素材として輝く」という表現にも顕れている。
羽生結弦が羽生結弦の見つめる眼もまた、厳しい。
このメタ認知能力と言うべき「もうひとりの自分」といかに対峙するかは、人としての霊性の問題にもつながる。
羽生結弦という存在そのものがある種の哲学的存在
この「霊性」、れっきとした日本文化にも備わっている。思想家、鈴木大拙はこれを『日本的霊性』として記した。詳しくは主題ではないため置くが、私たち日本人はこの「日本的霊性」から逃れられない。単純に「禅」的思想としてもいいだろうし、『鶏と蛇と豚』で私たちを驚かせた般若心経でもいいだろう。あの『SEIMEI』もまたそう捉えて構わない。