羽生結弦の背中、そして指先…目を閉じて、想うままに、私のままに書く『羽生結弦をめぐるプロポ』

目次
羽生結弦をめぐるプロポ 第1回「背中」「指先」
「プロポ」とは『幸福論』で知られるフランスの作家アラン(1868-1951)の創り出した詩的文学の形式である。自由に、自然に、私の想うままに目を閉じて、私のままに書く。始まりから終わりまで水の流れのように「流れるままに」書く。
私は羽生結弦という存在を――まさしく自由に、自然に、想うままに、私のままに滑るプロ転向後の羽生結弦とアランの「プロポ」とを重ねていた。だからいつか、羽生結弦をめぐる「プロポ」を、私のままに書こうと思っていた。
理屈ではなく、あるがままに、恥ずかしいとか、どう思われるだろうかでなく、自分の心だけを見て、羽生結弦だけを見て、てらいなく綴る。
思うがままに、捉えたものを、そのままに。
もうすぐ羽生結弦のプロ転向から二年、私はその想いをプロポとして、綴ろう。
1.背中 ――羽生結弦の背中が、好きだ。
羽生結弦の背中が好きだ。
造形が美しいとか、シルエットが優雅だとか、そういう形状だけでなく、羽生結弦の背中が好きだ。
背中も、と言いたいところだがここは「背中が」にしたい。あえて。
あのプロ転向後初の単独公演『プロローグ』――6分間練習の背中に、私は胸を打たれた。
ああ、平昌だ――羽生結弦は大切にしている。自分の栄光とか、自分の努力とか、自分の満足とか――それもまた尊い記憶だが、羽生結弦は「自分の」でなく「私たちとの」記憶を大切にしている。