羽生結弦は礼の人だ。真実と誠実と…「礼の最高の形態は、ほとんど愛に接近する」『羽生結弦をめぐるプロポ』「礼」

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羽生結弦をめぐるプロポ 第5回「礼」
「プロポ」とは『幸福論』で知られるフランスの作家アラン(1868-1951)の創り出した詩的文学の形式である。自由に、自然に、私の想うままに目を閉じて、私のままに書く。始まりから終わりまで水の流れのように「流れるままに」書く。
私は羽生結弦という存在を――まさしく自由に、自然に、想うままに、私のま まに滑るプロ転向後の羽生結弦とアランの「プロポ」とを重ねていた。だからいつか、羽生結弦をめぐる「プロポ」を、私のままに書こうと思っていた。
理屈ではなく、あるがままに、恥ずかしいとか、どう思われるだろうかでなく、自分の心だけを見て、羽生結弦だけを見て、てらいなく綴る。
思うがままに、捉えたものを、そのままに。
羽生結弦のプロ転向から二年、私はその想いをプロポとして、綴ろう。
7.礼 ――真実と誠実と
羽生結弦のその姿勢を呼ぶに「氷道」という言葉がもっと使われていいように思う。
それほどまでに羽生結弦の姿勢は「求道」にある。
騎士道、武士道――この国の「道」とは無意識下に行うものだ。技術や勝敗より前に、その先に人がある。
人としてどうあるべきかが何事に対しても大事とする。
柔道、剣道、弓道、居合道といった武道だけでなく華道、茶道、書道といった芸道もそうだ。私のテリトリーである文学や文芸も古くは文道と呼ばれ、その書き手は文士と呼ばれたりもしたが言葉としては廃れた。
それはともかく、羽生結弦は「氷道」の人である。
この言葉、憶えているところでは東京中日スポーツが羽生結弦プロアスリート宣言後の2022年に『羽生結弦さん「全部がフィギュアスケートに結びついてしまう」プロとしても”氷道”まい進「向上心消えない」』において「氷道」という言葉を使っている。本文にはこの言葉がないのだが、本文ひっくるめての「氷道」ということなのだろう。
プロフィギュアスケーターとして己の道をまっすぐに突き詰める「求道」の姿勢ひっくるめての「氷道」でなかなかの見識の高さと思うが、その後あまり使われてはいない。
しかしここで使われるとか、今後使われるとかは問題でなく、私は羽生結弦は「氷道」の人であるということ――とくに「道」における「礼」について語りたい。
礼の最高の形態は、ほとんど愛に接近する
羽生結弦は「礼」の人だ。