羽生結弦の公演は同じであっても同じでない、そして意味を持つ…さあ、Novaと新たに広島=「ヒロシマ」へ…『Echoes of Life』広島公演

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「場所の力」
1月3日、広島行きの新幹線。その4時間ほどの行程に再び、思う。
広島公演は極めて重要な公演になる、と。
私は「広島」という地が『ICE STORY 3rd -Echoes of Life- TOUR』の公演会場になると知った時からそう確信していた。
結果論でなく、そうだった。
その確信は2024年12月7日の『Echoes of Life』埼玉公演初日を目の当たりにして、よりいっそう確かなものとなった。
羽生結弦の公演が常に、歴史における「極めて重要」であることは当然である。
それでも「場所の力」(『The Power of Place』Dolores Hayden)によってさらにその重要性が際立つこともまた、事実である。
『ICE STORY 3rd -Echoes of Life- 広島公演』。
広島は「ヒロシマ」とも書く。
広島でないカタカナの「ヒロシマ」は昭和20年8月6日午前8時15分の原爆投下を暗黙のうちに指す。俳句で「ヒロシマ」と入れれば、それは季語で言うところの広島忌=原爆忌のことだ。
ピューリッツァー賞作家ジョン・ハーシーのルポルタージュ『ヒロシマ』(1946年)がつとに知られるが、原爆投下直後の広島を取材したこの作品は雑誌「THE NEW YORKER」に連載された。戦勝国アメリカにとって不都合な事実の隠蔽の中、ハーシーは「広島の被爆」という現実を世界に向けて書いた。
「記憶の場」ヒロシマにおける『Echoes of Life』
原爆の被害は当時の日本国内でも占領軍(GHQ)によって隠蔽された。広島の原爆死没者14万人と8月9日の長崎の原爆死没者7万人の計21万人(いずれも概数)の存在は彼らの占領政策に不都合な事実だった。『ヒロシマ』の日本語版は1949年の法政大学による出版を待たなければならない。
そうした場所であるヒロシマにおける『Echoes of Life』。いや、「記憶の場」(『Lieux de mémoir』Pierre Nora)であるヒロシマにおける『Echoes of Life』は極めて重要な公演になる――。
しかし、新幹線の中で私は逡巡した。
本当に「ヒロシマ」なのだろうか、と。
確かに『Echoes of Life』は「命」とは、「わたし」とはという「命のこだま」を綴ったアイスストーリーである。日本各地の天災や世界中の困難と「命」がテーマに込められている。羽生結弦の想いそのままに。
壮大な羽生結弦による命への問いとその対話を氷上で表現する――しかし、広島公演は「ヒロシマ」なのか。