「別にあそこ4回転じゃなくても」「お願い、もうそれ以上、命を削んないで…」羽生結弦はそれでも…『Echoes of Life』「強さと正義」

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「一所懸命」
「一所懸命」という言葉が好きだ。この「一所」がいい。
転じて「一生懸命」という言葉になったがそれはいい。語源は「一所」懸命である。どちらでも構わないが、ここでは「一所懸命」とさせていただく。
英語だと「Diligent」、あるいは「diligently」だろうか。他には「Hard」とか「Industrious」か、なんだかしっくり来ない。
黒澤明『七人の侍』で「かたじけない」が「Thankyou」になっていた英訳版があったが最悪である。武士の「かたじけない」は「Thankyou」程度ではない。同じように武士(御家人)が命を懸けて所領を守ることを意味する「一所懸命」もDiligentやらHardで片づくものではない。
お互い異文化なので仕方のない話だが、それでも日本のオタクが「Mania」や「Nerd」、「Geek」ではなく「OTAKU」であるのと同様に、一所懸命もまた「Isshokenmei」である。日本人は「一所懸命」の民族ともいえる。大陸のような逃げ場のない島国にあったからこそ。
これまで、羽生結弦の「一所懸命」については書いた。彼の「これから一所懸命に何事にも打ち込めますように」の絵馬は周知の事実だが、この「一所懸命」あるいは伝わりやすいように転じた「一生懸命」という言葉は羽生結弦の代名詞のひとつと言っていい。
実際、私は「一所懸命の人」といえば羽生結弦を思う。欲目でなく、武士とはこういう人を言ったのだろうと。義を尊び、欲を超えた彼方をストイックに生きた軍神、上杉謙信のように。なるほど『天と地と』は羽生結弦だからこその憑依であった。軍神が氷神になった、まさに一所懸命の証左であった。
ともすれば『Echoes of Life』は難しい作品
1月26日放送のテレビ朝日『「Echoes of Life」羽生結弦が紡ぐ究極のストーリー』もまた、その「一所懸命」にふさわしいドキュメンタリーだった。
まずこの番組のスタッフに敬意を表したい。非常に優れたドキュメンタリーだったと思う。
ともすれば『Echoes of Life』は難しい作品だ。その多種多様な構成要素は羽生結弦という存在の頭の中を余すことなく芸術として昇華させているが、これを短いドキュメンタリーとして伝えるのは本当に難しかっただろうと思う。限界はある。
それでも限界なりのやり方としてはこの構成でよかったのだと思う。聞き手が松岡修造というのもよかった。現在はタレントとして人気だが彼もまたテニスプレーヤーとして「一所懸命」の人だった。当時の「常勝」そして「地獄」の練習で知られた柳川高校に飛び込み、世界に羽ばたいた。1992年のクイーンズ・クラブ選手権、「グラスの貴公子」ステファン・エドベリを破った試合はいまも語り継がれる。62年ぶりのウィンブルドン選手権ベスト8入りもまたそうだろう。
面白い人だが品のある人でもある。年齢的には干支ふた周り以上も下の羽生結弦に対して真摯に、世界を知るアスリートとして対応していた。この人選もまた素晴らしい。