約束の地、ふたたび。共に祈りと希望、そして「明日」を信じる力を。羽生結弦と私たちが積み重ねた「今」…『notte stellata』がやってくる

目次
「一番つらかったであろうこの場所にリンクを張って」
約束の地、ふたたび。
〈活動費も少ない時代から私財を投げ打ち、誰に言うでもなく、何の贅沢をするでもないジャージ姿の偉人〉
2年前、私は『notte stellata 2023』においてこう書いた。
いまもその思いは変わらない。
プロフェッショナルとして美しい衣装をまとったり、ハイセンスな服に身を包んだりしても、羽生結弦の根底は「ジャージ姿の偉人」。
マハトマ・ガンジーがカディ(インドの民族衣装)を纏うことを「思想」と言ったように、羽生結弦のジャージにもまた彼の思想がある。彼の常々言う「アスリート」としての「矜持」なのだと思う。
〈一番つらかったであろうこの場所にリンクを張って、こうやって皆さんに希望を届けることができて幸せ〉
諦めない、信じる、その強さを知っている
当時の千秋楽、羽生結弦の言葉。彼はずっと信じていた。諦めない、信じる、その強さを知っている。
もちろん綺麗事ではない。人の死は綺麗事ではない。私の父は原爆で家族を失った。生後半年で被爆したときに、すでに彼の父親は畑仕事に出て原爆で黒焦げになって死んだ。一番目の兄は勤労動員で工場もろとも消えた。骨がわからないので母親が私の父をおんぶして探し回り、結局誰の骨かもわからない骨を拾ってきた。その母親もしばらくして井戸に身を投げて死んだ。二番目の兄は長崎本線に飛び込んで死んだ。私の父だけが残って、いまがある。こうした人の死が世界中で「今」も続く。
それでも、信じたからその先があり「私」がいる。みんな事例は違えどそうしたものだ。誰かが信じ、諦めなかったから「私」がある。あの日、セキスイハイムスーパーアリーナは被災地最大の遺体安置所だった。死は綺麗事ではない。
それでも――綺麗事でない死の先に人は信じる、諦めない。あの日、2011年3月11日。電気もつかず真っ暗な震災直後の羽生結弦青年が見上げた星々はいまも輝く。
〈月日が過ぎていくなか、昨日は苦しくて悲しくてつらくて、すごくすごくつらい日々でしたが、一日たってみると悲しさも超えて、やっぱり前に進んでいかなきゃなっていう気持ちと、また皆さんと共に、僕が暗い気持ちになっていたら今日はダメだなあって思って。頑張って希望になろうと思って頑張っていました。皆さんのスケート、プログラムを通してちょっとは前に向けたかなって思っています〉(現地筆者抄記・当時)
あの日の羽生結弦が信じ続けた今日
あの日の羽生結弦が信じ続けた今日――『notte stellata』にはそれがある。震災とそこに生きた人々、そこに生きる人々を忘れないで欲しいと諦めなかった今日がある。そして今日があるから、明日がある。