好きに国境はない。海を隔てていても心の隔たりはない…「あなたはなぜ、羽生結弦を好きになったのですか?」 『羽生結弦をめぐるプロポ』「好き」(3)

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好きを語ると止まらないものだ。書いていて嬉しくなる
好きを語ると止まらないものだ。書いていて嬉しくなる。みなさんもそうだろう。
私にとってカタリナ・ヴィットのあとは伊藤みどりだった(すべて時系列は現実世界の時間ではなく、あくまで私の中の時間軸)。日本人の多くは当時の伊藤みどりフィーバーを覚えていると思う。
「コンパルソリーさえなければ」は当時の報道にもあったが私はそうした意見を好まなかった。コンパルの美しい人も好ましい、これもまた羽生結弦についての私見で何度も書かせていただいているが、いまもその考えは変わらない。
基礎とは美しく、美しさの礎こそ基礎である。そして基という漢字における其の土とは神を祀るための土であり神鎮もる地を指す。美しさの礎は神の基に通じる、故に基礎は美しい。羽生結弦の美しさのひとつを成す。
人の行為というものはときに時代を象徴
それでも伊藤みどりには当時のアスリートとしての時代性があった。消えゆくコンパルの流れも味方しただろうが、日本人がフィギュアスケートで五輪のメダルを取るかどうかという時代性、1980年代から90年代初頭におけるメダルか否かの日本とは現在とは趣が異なる。円谷幸吉が自死した昭和からさほど時の経っていない平成、そうした時代の空気は確かにあった。私からすればアルベールビルもまた伊藤みどりが飛ぶこと、それが好きだっただけのことでメダルの色など私の美意識の外にあった。
このころの私にとっての男子はずっとヴィクトール・ペトレンコ、母とは趣味が一緒。また、だからこそのペトレンコ、プルシェンコ、羽生結弦という系譜の主張である。もちろん比較文化、比較史における主張である。
伊藤みどりの次はオクサナ・バイウル、すでにソ連は崩壊していた。ソ連崩壊と貧困のロシア、翻弄されるウクライナというスラブ民族の象徴こそ、彼女が演じた瀕死の白鳥(1994リレハンメル・EX)だったと思う。
不遇なアヒルの子は黒鳥となり、そしてピンクのフリッフリな衣装で西側のミュージカル曲を舞い、かつて冷戦の宿敵だったアメリカのナンシー・ケリガンを逆転した。