ガーシー氏がブーム当時の正直な思いを独占激白「僕みたいな人間が選挙で受かったらあかんと思っていた」警察関係者から言われた衝撃の一言とは

かつてYouTubeでの暴露を武器に社会現象を巻き起こし、参議院選挙で約29万票を獲得して国会議員となったガーシー氏。しかし熱狂の渦中にいた本人は、「自分がすごいとはまったく思っていなかった」と冷静に振り返り、むしろ自身の巨大な影響力に「違和感」すら抱いていたという。
社会現象の裏側で抱いていた本音から国会議員除名の真相、現在の心境、そして「57歳で完全に引退する」と語る今後の人生設計まで、そのすべてを赤裸々に語ってもらった。短期連載全4回の第1回。(取材日:8月14日)
目次
ガーシー氏が語るブームの裏側「自分がすごいとはまったく思っていなかった」
――本日はありがとうございます。まず、ガーシーさんがメディアを席巻していた当時の状況についてお伺いします。一時期は、誰もかれもがガーシーさんのことを話しているほどの社会現象となっていましたが、ご自身ではその状況をどう捉えていましたか?
正直なところ、自分がすごいとはまったく思っていませんでした。というのも、僕は当時日本にいなかったので、自分自身がどれほどのブームを巻き起こしているのか、その実感はまったくなかったんです。
日本から来る友人たちが「やばいで。右を向いても左を向いてもガーシーの話をしてるで」「女子高生まで電車の中で話してる」なんて言うんですけど、僕からすれば「またまた、大げさに言ってるんだろうな」くらいにしか思えませんでした。
ドバイでの生活は、日本での熱狂とは無縁でした。ドバイの全人口のうち、日本人なんて0.1%くらいしかいないわけです。だから街を歩いていても日本人と会うことなんてほとんどない。周りのドバイの人たちは当然僕のことなんて誰も知らないから、挨拶を交わしても「グッドモーニング」とか「ハロー」とか、それくらいです。生活環境は何も変わらない。
熱狂の中心でガーシー氏本人が抱いていた“違和感”の正体
ただ、インスタライブをすると、53歳のおっさんがただ歩いているだけなのに2万人も3万人も見に来てくれる。その数字を見て、「なんでこんなに見に来るのかな?」と不思議に思ってはいましたけど、それが日本全体を巻き込むような大きな動きになっているとは、とても想像できませんでした。
だから、周りの人たちが言う「日本のメディアがすごいことになってる」とか、「誰もが君の話をしてる」という言葉も、ピンと来なかった。再生回数が増えているのを見て、「ああ、いろんな人が見てくれているんだな」という認識はありました。でも、日本中の老若男女、全員が僕のことを見ているなんていう意識はまったくなかったですね。
最後まで“当選するわけない”と信じていた理由「ホリエモンですら…」
――そんな状況の中、参議院選挙に出馬されました。当選は確信していましたか?
いえ、まったく。僕だけは「絶対に受からない」と思って出馬しました。周り、特に日本にいる仲間たちは「絶対受かるで!」と息巻いていましたけど、僕からすれば「誰が俺に投票するんだ」と本気で思っていましたから。
僕の中には一つの前例がありました。著名人が出馬して落選した例として、ホリエモン(堀江貴文氏)がいますよね。彼が一度選挙に出て落選した。あのホリエモンですら落ちているのに、僕が受かるわけないだろう、と。そういうスタンスで選挙戦に臨んでいました。
僕みたいな人間が「選挙で受かったらあかん」と思っていた
そもそも、僕は選挙運動らしいことを一切していません。ドバイのクーラーが効いた部屋で、画面越しに「みんな、頼むで」と言っていただけです。もちろん、当時はこんな低いテンションではなかったですけど、やっていることはそれだけ。
本来、選挙というものは、候補者が街頭に立って演説をしたり、有権者と握手をしたり、そういう活動を積み重ねていくものじゃないですか。今回の選挙でも、たとえば参政党がSNSを駆使したと言っても、絶対に街頭演説もやっている。僕はそういう物理的な活動をゼロで戦ったわけです。そんな人間が受かるわけがないし、むしろ「受かったらあかん」とすら思っていました。
当選時の正直な思いを告白「たかがYouTubeでバズった人間が…」
――「受かったらあかん」とまで。それでも結果的に約29万票という多くの票を獲得して当選されました。そのときの率直な心境はいかがでしたか?
そりゃあ、もう、びっくりしましたよ。「日本、どうなってんねやろ」と。たかがYouTubeでちょっとバズった人間が、その知名度や影響力があるという理由だけでNHK党(当時)から出させてもらって、それでひょこっと受かってしまった。30万票近い票が集まったと聞いたときは、本当に驚きました。
警察関係者が語ったホンネ「当時のあなたの影響力は異常だった」
あの選挙で当選したあたりからですかね、「あ、これは本当にやばい状況なのかもしれない」と、少しずつ実感し始めたのは。ホリエモンですら落ちた選挙で僕が受かるというのは、どう考えても普通じゃない。ちょっとおかしいな、と。
後になって警察の方からも言われました。「当時のあなたの影響力は異常だった」と。「電車に乗っても、店に行っても、誰もがあなたの話をしていた。そんなことは普通ありえない」と。そして、「その人が選挙に出て30万票取って受かったとなれば、それは(権力側にとって)脅威になるだろうな」と言われて、僕もなるほどと理解しました。もちろん、渦中にいる僕自身は、そんなことになっているとはまったく思っていませんでしたけどね。
ガーシー氏が今も石破首相を“推す”理由「僕がクビになるとき…」
――国会議員になられてから、最終的には除名という形になりました。このことについて、今どのように感じていますか?
僕、実は今でも石破さんを推しているんですよ。公言しています。なぜかというと、あの人だけが僕がクビになるときに反対してくれたからです。自民党の中で、たった一人で。
彼が言った言葉が忘れられません。「国民の総意で通った議員を、たかだか250人程度の参議院の議員による多数決でクビにすべきじゃない。クビにするのであれば、ちゃんと国民の意向を聞きなさい」と。「あなたたちがこのガーシーという人を選んだわけじゃないでしょう。30万人もの国民が彼を議員にしたいと決めたのに、なぜ我々議員がそれをクビにできるんだ」と、真正面から言ってくれたんです。
それを知ったとき、「この人はものすごく公平な人なんだな」と心から思いました。だから、僕は未だに石破さんには期待していますし、あのとき、全国会議員を敵に回してでもあの発言ができた胆力を、総理大臣になった今こそ見せてほしいと強く願っています。
ガーシー氏が石破首相に見た“田中角栄氏の幻影”
もちろん、総理大臣という立場になれば、今まで見えていなかった景色が見えたり、外交などで様々な制約が出てきたり、あるいは前総理の負の遺産を処理しなければならなかったりと、やりたい放題できないのは理解できます。一議員だった頃は、自民党の中にいながらも少し反自民的なスタンスで、そこが僕も大好きでした。でも今は総理として、自民党の意向にも沿わなければならない部分があるのでしょう。
それでも、僕はあの人に田中角栄の姿を少し見た気がしたんです。あのとき、すべての国会議員が僕を嫌っていた状況で、たった一人「クビを切るべきじゃない」と言ってくれた。あの人がなぜ今、あんな風におとなしくなってしまったんだろう、と思ってしまう自分はいますね。