憧れだったアイドルになれた女性が「アメリカのトップ大学で金融工学を学ぼう」と大学院試験に向けて勉強を始めたワケ
教育ジャーナリストの濱井正吾さんが、「学歴ロンダリング」をして、人生が好転した人を取材する連載「濱井正吾 人生逆転の学歴ロンダリング」。
今回は、早稲田大学社会科学部を卒業後、カリフォルニア大学バークレー校(UCバークレー)の大学院であるHaaSビジネススクールに進学。卒業後は米国金融会社での機械学習エンジニア(ML職)を経て、現在は個人投資家・インフルエンサーとして活躍するonodelaさんにお話を伺いました。全2回の第1回。
目次
アイドルになりたかったが、自分には難しいと感じていた幼少期
小さい頃のonodelaさんは、自分が打ち込んだものを特に覚えていないと語ります。
成績は優秀でした。クラスで1位ではなかったものの、公立の小学校では上位だったと語ります。ただ、「よくできる子」だった幼少時代から、両親にはけっこう怒られていた記憶があるようです。
「普通の家庭に生まれましたが、父親も母親も2人とも、大学に入ってその後のキャリアを掴んだ人なので、私にもそうなって欲しいという期待を感じていました。だから私には厳しかったですし、よく怒られました。授業参観などでクラスメイトのお母さんを見たとき、自分の家庭よりも優しそうに見えたことを覚えています」
厳しい家庭に育ったonodelaさんですが、小学校5年生くらいから好きなことができます。それが、数々の名曲で知られるアイドルグループ、AKB48でした。
「小学校の頃からAKB48が好きで、アイドルになることが夢でした。ですが、自分自身が彼女たちのようになることはできないとも思っていました。親がアイドルを好きではなかったので、イベントなども行けず、当時は自分の中での憧れとして消化していました」
家族が認めない「アイドルになる」以外の夢としては、本を書く人になりたかったそうです。
その後、onodelaさんは中学受験をして私立の中学校に入ります。優秀な環境の中でも最初のほうは上位10%の成績を取っていたようですが、その後は真ん中くらいの成績に落ちてしまいました。その理由として彼女は、「疲れて勉強をしなくなったから」と振り返ります。
「思春期に入ったことで、親から言われたことをそのまま単純に受け取ることができなくなっていました。『なんで勉強しなくちゃいけないのだろう、親の言う通りにしなくてはいけないんだろう?』という反抗心が出たことで、少し勉強をしなくなってしまいました」
中学時代は部活はやっていなかったものの、塾には通っていたonodelaさん。中高一貫校ではなかったために外部の高校を受験し、進学校に入ります。