Xで話題「フローレンス問題」の論点…NPOへの補助金は誰が監視?代表が「ルール作る側」にいっていいの?「違反担保で5000万『目的外』利用も」報道

認定NPO法人フローレンスと東京都渋谷区の間で起きた不動産の担保設定をめぐる出来事がSNSの炎上を発端にテレビ朝日でも報道され、複数の渋谷区議会議員において調査が継続され注目を浴びている。政治に詳しいコラムニストの村上ゆかり氏が解説する――。
目次
Xで話題となった“フローレンス問題”…何か問題だったのか
舞台となったのは、渋谷区内にある保育施設「おやこ基地シブヤ」であり、この施設は公的な補助金を使って整備されたものである。この問題の核心は、この施設に「根抵当権」という特殊な担保が設定されていた点にある。
普通の抵当権は、特定の借金だけを担保するものであるが、根抵当権は性質がまったく異なる。あらかじめ決めた上限額の範囲内で、何度でも借り入れと返済を繰り返すことができ、不特定の借金をまとめて担保できる仕組みである。そのため、補助金で建てた建物に根抵当権を設定すると、施設運営とは無関係な資金繰りにも使えてしまい、補助金の目的外使用とみなされる。国の補助金Q&Aや厚生局の資料でも、補助財産への根抵当権設定は認められていない。
この点を最初に具体的かつ実務的に指摘したのは、保育施設整備の実務経験を持つSNS(X)アカウントからの指摘だった。このアカウントは、自身も過去に銀行から根抵当権の設定を求められた際に、違法性があると判断して拒否した経験を持っていたとポストした。こうした実務上の知見に基づいた指摘に加えテレビ朝日は、フローレンスがこの根抵当権を使い、2023年に東日本銀行から新たな融資を受けていたこと、その際に東京都に対し「小規模保育園改装資金」などと申請しながら、実際にはその一部を別の借入の返済に充てていた等の疑いを報じた。
もしこれが事実であれば、補助金で建てた施設を担保に、申請名目と資金の使途に齟齬がある借り入れを行ったことになり、「間違えて根抵当権を設定してしまった」という説明では到底済まない。
この問題が大きくなった理由は、法的な専門論点そのものよりも、公金を扱うNPO法人と、それを監督する自治体の双方に対する信頼の問題に直結するからである。なぜこのような事態が起きてしまったのか。それは国や行政が「公金を守るためのコスト」をかけてこなかった結果だといえる。
NPO法人側からすると、目の前にある立派な建物を活用して銀行からお金を借りたいと考えるのは、経営者としては自然な心理かもしれない。
財源が税金という重みをNPO法人は理解していたのか
しかし、財源が税金であるという重みを忘れていた。
これらを監督する立場である自治体職員は数年で部署を異動してしまうケースが殆どである。そして不動産の登記や銀行との複雑な契約について、専門的な知識を持っている人は組織の中にそう多くはない。銀行やNPO法人のような専門家から書類を出された時に、専門的な知識が乏しければ、不正を暴こうと思って見ても気づかずにそのまま受領してしまう。
また全ての銀行員が、必ずしも補助金に係る法令等を必ずしも熟知しているとは限らないのが現状だ。ここにあるのは「それぞれの立場でのすれ違い」である。本来であれば、役所は補助や委託をする時点で必要な知識を集めて監視するべきだった。
日本はこの20年間、「小さな政府」という目標を掲げてきた。「役所がやると仕事が遅くてお金もかかるから、できるだけ民間の企業やNPOに任せて、公務員の数も減らそう」という考え方である。これを「官から民へ」の改革と呼ぶ。
役所の現場では「性善説」に頼ることになる
この改革の中で、特に強調されたのが「民間の活力を邪魔しない」という方針であった。かつての行政は細かいルールで厳格に管理していたが、「それでは新しいサービスが生まれない」といった批判はなされ、「なるべく民間の自由な発想に任せよう」という空気が作られてきた。このとき、本来なら税金の使い道を適正に守るために絶対に外してはならなかった「ブレーキ」や「点検」の役割まで削られてしまったのではないか。
ブレーキや点検などのチェック体制が甘くなれば当然、役所の現場では「性善説」に頼ることになる。「NPO法人や福祉事業者は社会福祉事業等をするために集まっている有志の集まりだから、まさか悪用したりすることはないだろう」という前提に立つということだ。本来、相手がどうあろうと、厳格な監査システムは不正をさせないために必要な仕組みだ。しかし、そこにコストをかけることを止めてしまったため、今多くの役所では、複雑な金融取引や登記のトリックを見抜けるだけの「監視能力」が残っていない。
このフローレンスの問題の背景には、そもそも「保育や教育といった大切な仕事を、どこまで民間のNPO法人や団体に任せていいのか」という根本的な問いかけがある。
税金を受け取りながら、経営のリスクや自由だけは民間企業のように主張
これまで日本は待機児童問題を解消するために「民間の力を借りよう」と必死になり、フローレンスのようなNPO法人が提案する「小規模保育」などを大絶賛した。しかし、その裏側で、園庭のない環境や「3歳の壁」といった質の低下、さらには少子化の加速による小規模保育事業等を運営する民間団体の経営悪化等が懸念され始めている。補助金に頼らず自己資金だけで運営する「完全な民間事業」であれば、自由な市場競争は推奨されるべきである。しかし、保育や教育のように、国民の負担を減らすために巨額の税金が投入される分野においては、話が別だ。
税金を受け取りながら、経営のリスクや自由だけは民間企業のように主張する「いいとこ取り」は許されない。公金が入る以上、その事業者は「準公的な存在」となる。したがって、安易に営利目的の参入を促すのではなく、国や自治体、あるいは厳しい基準をクリアして厳格な公金管理ができる団体だけに担い手を限定するような、「規律ある制度」への揺り戻しが必要になっているのだ。
NPO法人代表が国の有識者会議のメンバーに
また、こうした民間のNPO法人の代表者等が、国の「有識者会議」などのメンバーに入っていることによる「利益相反」の懸念も指摘されている。
例えば、今回の問題の渦中にある認定NPO法人フローレンスの会長、駒崎弘樹氏の存在が挙げられる。彼は長年にわたり、内閣府の「子ども・子育て会議」の委員や、こども家庭庁の「こども家庭審議会」の委員など、国の保育政策を議論する重要ポストを歴任してきた。これらは、まさに補助金の金額や使い道、施設の認可基準といった「業界のルール」そのものを議論する場である。
補助金を受け取る当事者が、同時にルールを作る側に参加すれば、自分たちが参入しやすいように規制を緩和させるための提言をすることができ、その結果として、自分たちが受け取りやすいような補助金制度を設計できてしまう―――こうした構造が常態化していたとすれば、行政側がフローレンスに対して厳しい監査や監督を行いにくくなるのは当然だ。これは特定の個人の問題というより、政策決定プロセスに利害関係者を深く関与させすぎた、日本の行政の根本的な欠陥ではないか。
納税者の目線に立ち戻れるのかどうか
今回の出来事が突きつけた事実はあまりにも重い。それは、行政のチェック体制が甘かったせいで、本来は子供たちのために使われるべき税金が、NPO法人の資金繰りのための道具として使うこともできてしまう「仕組み」が出来上がっていたとも言えるということだ。もし、このことに誰も気づかずに放置していたら、NPO法人の破綻とともに私たちが納めた税金で建てた施設は銀行に差し押さえられ、跡形もなく消えていたかもしれない。これは行政の不作為であり、怠慢である。
国や自治体は「渋谷区だけの特殊な事例でした」「特定の法人だけの個別事案でした」と言って幕引きを図ってはならない。今すぐやるべきは、全国規模の徹底的な補助事業の点検である。補助事業の仕組みや金融実務は全国共通であり、渋谷区で起きたことは、どこの自治体でも同じような仕組みで行われており、それはすなわち、同様の問題がどこかの自治体でも起きている可能性が十分にあることになる。「うちは大丈夫だろう」と胸を張れる自治体が一体どれだけ存在するというのか、筆者は甚だ疑問である。行政府は直ちに、補助金を出して整備したすべての施設の登記簿を確認し、無断での根抵当権設定や不審な借入がないか調査すべきではないか。
そもそもチェックの仕方について、人がチェックするアナログな方法ではなく、仕組化をもっと検討すべきだ。補助金が入った建物の登記簿には「勝手に担保にしてはいけない」というマーク(付記登記)を義務付けたり、法務局のデータと役所のシステムを連携させて不正な登記に即座に気づける仕組みの導入を検討すべきではないか。公金は、納税者が納めた税金であり、民間のお金以上に、不正が入り込まないような厳格な仕組みでなければならない。今回の問題が問うていることは、特定の何か、誰かへの追及ではなく、公金を扱うすべての関係者が、納税者の目線に立ち戻れるのかどうかという一点である。