ライターパパが「稼げない月も生活に絶対困らない」これだけの理由(連載:40代フリーライター「1000万は稼げます」第3回)

フリーライターと聞いてどんなイメージをするだろうか。「稼げなさそう」「不安定そう」…。あまりポジティブな印象を持っていない人もいるはずだ。しかし、田中圭太郎氏は40代で安定の会社員生活を捨ててフリーライターになり、今では悠々自適な生活で年収は1000万円を超している。「やりかたさえ、わかっていれば誰でもできます」。連載:40代フリーライター「1000万は稼げます」では田中氏がライターとして独り立ちする方法を伝授していく――。
ライターはライターでも「ブックライター」という道
私の人生を変えてしまった本が、2013年11月に講談社から発売された『職業、ブックライター。 毎月1冊10万字書く私の方法』です。
東京に異動して2年目、2013年12月に都内の書店で何気なく手に取りました。初めて目にする「ブックライター」の文字。表紙を開くと、カバーには「ゴーストライター? いいえ、ブックライターです!」と書いています。
ブックライターとは、「著名な方々の著書を、著者に代わって書く。中心になるのは、ビジネス書やノンフィクション、実用書」と定義されていました。
著者の上阪徹さんは年に10冊は本を執筆していて、ゴーストライターではなく、この仕事にふさわしい名前を新しくつけようと、講談社の担当編集者の唐沢暁久さんとブックライターの呼び名を考えたそうです。
興味を持って読み始めると、思わず驚いてしまう箇所がありました。上阪さんが著者の代わりに書いた本が紹介されていて、そのひとつがリクルート出身で杉並区立和田中学校の校長を務めた藤原和博さんの『坂の上の坂 55歳までにやっておきたい55のこと』(ポプラ社)でした。
著者の代わりに上阪さんが書いたことがオープンにされていることに加えて、どのように構成して、どのように目次をつけたのか、どのような目線で書き進めていったのかなどが、詳細に明かされているのです。
実は『坂の上の坂』は、東京に転勤する直前の時期に読んでいた本でした。日本人の平均寿命が長くなったなかで、50代からの30年間をどう過ごすのか。そのためにはどのような準備が必要なのかが書かれています。
これからの時代、人生はひと山ではなく、もうひと山、ふた山も作れる。そのためにはこれまで持ってきた価値観、会社というコミュニティ、消費、パートナーなどを見直す必要がある、と説いていました。病気を経験して、いずれは独立を考えていた自分にとっては印象に残った本でした。
『職業、ブックライター。』は、『坂の上の坂』を例に、著者にインタビューをして、1冊の本を作り上げる方法が丁寧に説明されています。
本の書き方以外にも、上阪さんの仕事のスタイル、出版者や編集者との関係作り、時間管理、仕事に向かう心構えなどが詳細に書かれています。そして衝撃的だったのは、「一般的な会社員の何倍もの収入を、フリーランスになって20年近くにわたって稼ぐことができています」という一節でした。
一気に読み進めると、本の終盤のページに、上阪さんの無料トークショーの案内が挟まっています。場所は講談社。読み終えるとすぐに申込書に記入して、郵便ポストに投函しました。
「上阪徹のブックライター塾」で学ぶ
トークショーには100人以上が参加していたと思います。この場で初めて上阪さんとお会いしました。
質疑応答を聞いていると、参加者の半数以上が出版社などの編集者でした。多くの本はライターによって作られているけれども、どの出版者もいい書籍ライターを探していて、上阪さんが自らのノウハウを明かした『職業、ブックライター。』に強い関心を示しているようでした。
トークショーの最後に、2014年3月から「上阪徹のブックライター塾」を開講すると説明がありました。この時点でブックライターを目指すと考えたわけではありませんが、地方局の仕事でもいずれ役に立つことがあるのではないか、というくらいの気持ちで受講を決めました。
「上阪徹のブックライター塾」はこの時が第1期でした。のちに触れますが、私は第3期も受講しました。以後、上阪さんを師と仰いで、取材した素材の整理や構成の立て方、ライターの心がけなどあらゆることを参考にさせていただいています。塾は毎年開催されていて、2023年春には第10期が開講します。
2期以降の受講生は、プロとして活躍しているライターの比率が高くなりましたが、1期はプロのライターや著者は受講生約20人のうち、半分もいませんでした。私はというと、講義の内容についていけていたとは言えず、課題を出すのが精一杯でした。
テレビ記者の場合、特にドキュメンタリーでは原稿はできるだけ減らします。映像と音声で表現できるシーンには原稿はいらないというのが基本的な考え方です。原稿ですべてを表現するのは、自分にとってはこれまでとはまったく逆のアプローチであり、戸惑うだけだった、というのが正直なところです。
塾が終わると、修了生の中からすぐにブックライターとして活躍する方々が現れました。翌年には2期も開催されて、評判を聞いたプロのライターが多く参加したとも聞きました。塾の修了生の活躍に刺激されて、フリーランスになる選択肢が、自分の中で大きくなっていきました。
収支を「上」「中」「下」でシミュレーション
塾に通ったことでフリーランスへの気持ちは高まったものの、冷静になる必要がありました。というのも、小学生の娘は私立中学を受験するための塾に通っていました。フリーランスになるにあたっては、引き続き東京で生活することと、娘を私立中学に進学させることが前提になります。
そのためには、どれだけ稼げばいいのかを知っておく必要があります。それに、妻の理解を得るにも、説明する材料がなければ前に進みません。そこで、フリーランスになった場合の収入のシミュレーションを作成しました。
シミュレーションの期間は80歳まで。想定する売り上げを「上」「中」「下」の3パターン設定し、エクセルに予想される収入や支出をできるだけ詳細に記入しました。税金や社会保険などについては、複数の本を参考にし、娘を大学に通わせることができるかどうか、そして老後まで生活できるかどうかを見ていきました。
まず、最も売り上げが少ないパターンである「下」では、売り上げが年間300万円程度で低空飛行が続くと予想しました。このパターンでは、娘が大学を卒業する頃には貯金や退職金を使い果たす結果が示されました。
ただ、当時の都政や国政の動きから、「下」のパターンであっても、貯金がゼロにならない可能性が見えていました。ひとつは東京都が先行して始めた「私立高校の授業料の実質無償化」です。
私立高校に通った場合、年収910万円未満の世帯まで最大46万7000円の助成金が出ることが、この時点で決まっていました。娘が高校に進学した時には始まっている予定でしたので、負担が軽くなることがわかりました。
もうひとつは、2020年から始まった高等教育への就学を支援する新制度です。所得が低い世帯に対して大学の授業料や入学金が免除または減額されるとともに、給付型奨学金が支給されるもので、この制度はフリーランスになったあとに決まりました。実際には使っていませんが、結果的には「下」のパターンで売り上げが推移しても、全財産を使い果たさずに娘を大学に進学させることが可能だったことになります。
「中」のシミュレーションは、1年目は売上300万円からスタートして、3年目には500万円、4年目以降は800万円で推移する想定です。家賃や学費を計算すると、子ども1人を私立高校と大学に進学させるには、月額にして60万円から70万円、年間で800万円くらいは必要だということが見えてきたので、「中」を標準に据えました。
「上」はもう少し順調なスタートを切り、1年目500万円、2年目800万円、3年目からは1000万円以上の収入が続くシミュレーションです。1000万円の根拠は何もありませんでしたが……。
ただ、このシミュレーションを作ったことで、売り上げが少なくても何とか食べていけるかもしれない、とイメージができました。仕事を継続することさえできれば、300万円以上は何とか稼げるだろう、と思えたのです。
ちなみに、シミュレーションの結果はどうだったかと言いますと、最初の4年間は「中」に近く、その後は「上」の状態になりました。現在はさらに上方修正したシミュレーションを作成しています。具体的なポートフォリオは、この連載でお伝えしていきます。