東大合格者が守った3カ条。数字にこだわる、志望校公言、そして…「それでも僕は東大に合格したかった」第3話

「自分を変えたければ、東大を目指してみろ」高校1年のあの日、ある教師の一言でずっと落ちこぼれだった僕は途轍(とてつ)もない挑戦を強いられた。結局2浪し、3度目の受験を終えた時、その教師がまた想定外のことを言い出して……。現役東大生作家であり、ドラマ日曜劇場『ドラゴン桜』脚本監修をした西岡壱誠さんの偏差値35のド底辺から合格発表を迎えるまでの原点の物語をお届けする。(第3回/全3回)
※本記事は、西岡壱誠著『それでも僕は東大に合格したかった』(新潮社)より抜粋・再編集したものです。
第1回:偏差値35ド底辺、2年連続不合格の崖っぷち「それでも僕は東大に合格したかった」第1話
第2回:なぜ多浪生が”優等生”を演じだしたら偏差値35→70に爆増したのか「それでも僕は東大に合格したかった」第2話
成績も上がって、モテるようにもなる3カ条
師匠は黒板に3つの項目を書いた。
- 数字にこだわって勉強する
- 東大に行くのだと、周りに公言する
- 他の人の質問を積極的に受けて、時には教える
「いいか西岡、この3カ条を守れ」
師匠は言った。
「まずは数字だ。勉強時間でも、模試の点数でも偏差値でも学校の順位でもなんでもいい。とにかく、いい数字を取れ。どんなに些細なことでも、小テストでも定期テストでも関係なく、1位上を、1点上を目指せ」
それは、まあ、わからなくもない。
「まずは1科目でいい。1科目でいいから、偏差値70を目指せ」
「はい」
「次は東大に行くと公言しろ。今までは恥ずかしがっていたかもしれないが、とにかく周りに言い続けるんだ」
「は、はい」
正直、それは、ハードルが高いなと思った。元々いじめられっ子の僕だ。笑われるのではないかという思いが強い。
「大丈夫だ。数字さえあれば、周りの大人は必ず納得する」
「そういうものでしょうか」
「結果が伴っていることを否定できる人は少ない。言われたら、結果で返事をしてやれ」
だとすると、僕が東大に行くと言ったら笑われそうなのは、結果がないからだ。結果さえあれば、周りは僕のことを「東大に行けるかもしれない人」と思ってくれるのかもしれない。
「そっか、そうですね。頑張ります」
そして3番目を師匠は指差す。
「最後に、他の人の質問を積極的に受けて、お前が人に教える立場になるんだ」
そんなこと、できるのか? 僕は口下手だし、人に何かを教えられるとも思えない。
「西岡、東大生が誰でもやっている勉強法が、これなんだ」
「へっ?」
僕は素っ頓狂な声を出した。
東大合格者が多い学校は、人に分かりやすく教えるのが上手い
「自分がインプットしたことを、他人に対してアウトプットする。東大生は自分で誰かに教えたり、周りの子と勉強したことを議論する場合が多い。東大合格者が多い学校では、毎回授業ごとに誰かが授業の内容を噛み砕いてほかの子に説明したり、みんなで授業を元に問題を作ったり、考えを共有しあったりすることが多いんだ」
「本当ですか?」
ガリガリ机に向かうことの方が多いと思っていたのだが、そうではないのか。
「本当だぞ。それにこれは学力面以外のことでもメリットがある。周りがお前のことを、頭がいいと認識するんだ」
「はあ」
今度は気の抜けた返事をする。それ、本当にメリットなんだろうか? そしてそんなことってあり得るのだろうか?
「優等生というのはみんな、小さい頃からずっと『頭がいい』と言われ続けていた人間がなるもんだ。優等生になることを求められ、もし順位を落としたら笑われ、優等生じゃなくなるかもしれないというプレッシャーがあって、その演技をし続けている人のことだ」
そう言われてみると、そうかもしれない。確かに僕の周りの優等生は、学年をまたいでもずっと変わらず優等生だった。いきなりぽっと出で優等生になる人はいなかった。
「だからお前は、優等生という仮面をかぶれ。周りから、勉強において頼られるくらいに、優等生だという演技をし続けろ。それこそ、女にモテるくらいにな!」
「まだ言うんですね」
「当たり前だ。あながちバカにもできないだろ?」
まあ、確かにそうだが。
「大丈夫だ、この3つをやり続ければ、成績も上がるしモテるようにもなるさ」
いいや、もう突っ込まない。そう決めて、僕はノートにその3つを写す。
「まあ、やってみます。どこまでできるかはわからないですが、でも、頑張ってみます」
師匠の言うことだ。ちゃんと守り続けよう。
そしてノートに書きながら、不意にこんなことを聞いた。
「そう言えば、師匠も何か仮面つけているんですか?」
ん、と師匠は不思議な表情をした。
「いや、師匠は何にも演じてなさそうだなと思って」
そう聞くと、師匠は、
「俺も、1つ演じているよ」
意外だな、と思った。そしてそれ以上は聞かなかった。
今思えば、師匠が何を演じているのか、聞いておけばよかったと思う。だが、師匠が何を演じているのかは、この後、すぐに僕は理解することになるのだった。そしてその時、師匠はすでに姿を消していたのだった。
「こういう経緯で、僕は意図的に『演技をする』ようになったわけなんだ」
過去の師匠とのやりとりを星川さんに話す。星川さんは黙って聞いていた。冗長にならないように話したつもりだが、つまらなくはなかっただろうか。
(いや、今更か)僕の話という時点でなんの面白みもないはずだ。話が面白いかどうかなんて気にしていてはいけない。そう開き直って、続けようとする。すると、
「いつか、西岡くん、『ある人に東大に行けって言われた』って言ってたよね」
と星川さんが声を出す。
「それって、渋谷先生のことだったんだね」
「ああ、そうだよ」
そういえば、そんな話をした気がする。あれはいつのことだっただろうか。
「すごいね。渋谷先生って、音楽の先生なのに」
「それは確かに」
あの人は音楽の先生のはずなのに、なぜか僕の受験を引っ張ってくれていた人だった。
「それで? 渋谷先生にそう言われた後は、どうしたの?」
「その後は」
そう言って僕は語り出す。
「渋谷先生に言われた3つを、すぐに実践してみた。まずは数字から―」
偏差値35の僕が70に上げるために、とにかくめっちゃ勉強した
1. 数字にこだわって勉強する
僕はとにかく、1時間でも多く勉強することにした。点数を上げるとか、順位だの偏差値だのを上げるとか、そういうことはよくわからなかったからだ。
「とにかく僕は、めっちゃ勉強することにしよう」。そう決めて、学校の自習室に入り浸るようになった。朝早く来て勉強をして、授業を受けて、その後夜まで勉強する。学校に1番長く滞在するようにしようと決めた。
でも、数字にこだわると言っても、何時間くらい勉強すればいいのかがわからない。これでは師匠の言ったことが達成できない気がする。
なので僕は、ストップウォッチを買った。ストップウォッチで、自分が何時間くらい勉強しているのかを測ったのだ。自分が勉強している時はストップウォッチを押し、ちょっとサボったり休んだりしている時や眠い時はストップウォッチを切るようにした。
そうすると、自分が思ったよりも勉強していないことに気づいた。例えば「3時間は勉強しているかな」と思って、サボっている時間を差っ引いたストップウォッチのタイムを確認すると、実は2時間くらいだったり、「休日は12時間はがっつり机に向かっているはず!」だったのに、ぼうっとしている時間が意外に長くて、たった9時間しか勉強していなかったり。
そう、自分はサボってばかりだったのだ。
数字を意識すると、数字を比べてみたくなる。自分より勉強している人はどれくらいいるのか? 東大合格者はどれくらい勉強しているのか? そんなことを考えるようになったのだ。
ネットで調べると、案外簡単に東大合格者の勉強時間のデータを見つけることができた。そこには「学校の授業時間を除いて週50時間」と書いてある。「平日5時間で、休日12時間ちょいってことか。結構きついな」。だが、達成できない数字ではない気もした。次の目標が決まった瞬間だった。
今思うと、数字を意識するというのは、こんな風に自分の勉強をより前に進めていくのに最適なものなのだと感じる。10時間より12時間。10位より9位。D判定よりC判定とか。少しずつ前に進むためには、数字が役に立つ。それを師匠は伝えたいのかもしれないと思った。
偏差値35の僕が「東京大学志望」と言ったら先生は――
2. 東大に行くのだと、周りに公言する
まず「一体どういうつもりだ?」と先生に聞かれた。
なんの話かはすぐにわかる。僕が志望大学調査書に「東京大学」なんて書いたからだ。
「お前、本当に東大に行くつもりなのか」
担任の佐藤先生は聞いてきた。別にこの先生とは特別仲が悪いわけではない。ないのだが、流石(さすが)にクラスの落ちこぼれみたいな生徒がいきなり「東大目指します」って言って、「よっしゃ頑張れ!」ってなるような関係ではない。
それでも、師匠に言われたのは、とにかく公言しろ、ということだった。ならもう、反対されるのが目に見えているとしても、言わなければならない。その先で、バカにされたり、怒られたり、考え直せと言われたりしたとしても、だ。
「そうか。まあ、じゃあ、仕方ない」
だが、想定されるはずの反論はこなかった。
「じゃあ科目選択は、お前は文系だから2科目だろ? そうするとこのカリキュラムで……」
「えっ、先生」
たまらず、僕は話を遮る。
「反対しないんですか?」
先生は僕の顔をよく見て、こう言った。
「お前、目の下に隈(くま)あるぞ」
その時、僕は寝不足だった。週50時間勉強という訳のわからないものを自分に課した結果、睡眠時間を削らざるを得ず、そうなってしまったのだ。
「そんなになるまで勉強しやがって。そんな姿見たら、反対できないだろうが」
先生は、そう答えた。
「東大に行くって言うなら、俺は止めない。だが、授業中とか頻繁に当てるから、覚悟しとけ。『この程度の問題も答えられないなら東大になんか行けないぞ』って言ってやるよ」
正直な話、僕が数字にこだわって勉強し始めたのなんて、ほんの2週間くらい前のことである。でもそれを、佐藤先生は知らない。まあもしかしたら、知らないふりをしてくれているのかもしれないが、しかしそれでも騙(だま)されてくれているのだ。
(こういうことなのか?)
僕は考える。師匠が言っていた、優等生の演技というのは、こういうことだったのではないかと。
(優等生の演技をすれば、優等生として周りが扱ってくれるから、いろんなことが、うまく行くって、そういうことなのか?)
この後、僕は、授業で頻繁に当てられるようになった。先生からの質問に答えるのは大変だが、しかし、答えられるように一生懸命になると、その分勉強するようになった。
そして、それに釣られるように、最初は僕が東大を目指すと言ったのをバカにしていた人たちも、次第に何も言わないようになっていった。それもこれも、僕が東大を目指すと周りに公言したからおきた現象だ。
(演技が、本当になっていく、か)
その事実を、僕は噛み締めるのだった。
