川淵三郎・渡辺恒雄「喧々囂々の議論を突きつけてきた」25年ぶり”奇跡の和解”舞台裏…「巨人一辺倒」も気づけば消えた
三笘、堂安、久保、浅野…。今や多くの日本人選手が欧州のトップレベルで活躍するのが当たり前の光景になり、4年に1度のW杯に日本が出場するのも当然といった時代になった。だが、30年前までは違った。サッカーだけではない。スポーツ界全体にとっても、ある一つの出来事によって、流れが大きく変わっていった。企業依存のスポーツから、地域密着のプロスポーツに。川淵三郎氏インタビュー第2弾では、「Jリーグ百年構想」に込めた想いと、“宿敵” 渡邉恒雄氏との邂逅(かいこう)について聞いた。
競技者数ではすでにサッカー大国の日本…だが、子どもたちが「サッカーしかやらない」のは問題
──ところで、日本人サッカー選手のレベルが飛躍的に上がったとのことですが、その土壌をつくったのは紛れもなく、30年前「Jリーグ百年構想」で日本のスポーツ文化に革命を起こした川淵さんだと思います。今、サッカーに限らず数多くの日本人が世界のトップとして活躍する時代になっていますが、Jリーグ誕生から30年経って、改めて「百年構想」の現在地について伺いたいと思います。
(川淵三郎氏) サッカーに限らず、1980年代ごろまでに日本人が海外で通用するとは誰も思わなかった。野球でも今は大谷翔平選手はじめ、当たり前のように日本人が大リーグで活躍しているけど、95年に野茂英雄選手が多くの抵抗や批判を浴びながらも飛び出して開拓者になったから今があるのだと思います。サッカーの場合には三浦知良だろうけど、サッカー界は初めから「どんどん出ていけ」というスタンスだった。W杯という国際舞台があるサッカーと、国内リーグが中心の野球の文化の違いかもしれませんが。
──私が川淵さんの「Jリーグ百年構想」で凄いなと思うのは、この30年で全国津々浦々、少なくとも子どもたちの競技レベルでは、サッカーが圧倒的な人気スポーツになっているということです。80年代まではサッカーはマイナースポーツの一つに過ぎなかった。選手の育成、発掘システムも進んでいますし、競技者レベルで言うと、日本はすでに「サッカー大国」ですよね。