神となった羽生結弦の葛藤、自分自身と戦い続けた…応援者からの「GIFT」とともに帰ってきた「僕」

目次
私たちがこれまで見てきたのは「羽生結弦と呼ばれる存在」だ
羽生結弦と呼ばれる存在と、羽生結弦となった実体。
私たちがこれまで見てきたのは「羽生結弦と呼ばれる存在」である。「羽生結弦となった実体」は、おそらく羽生結弦にしかわからない。
『羽生結弦』という存在
『羽生結弦』という媒体
『羽生結弦』として生きて
これまでも羽生結弦の「実体」は、こう『羽生結弦』という存在を語ってきた。
2月26日、東京ドーム『GIFT』、それは羽生結弦の「告白」だった。告白もまた、私たちへの「贈り物」だった。羽生結弦は赤裸々に、自らの存在を詩にしたため、語った。
「気がついたら、世界があった。」
気がついたのは「羽生結弦となった実体」だろう。それは世界の中に「ある」。この世界に生まれたのではなく「ある」のだ。同時に「羽生結弦と呼ばれる存在」もまた生まれた。
「自分は、なんだろう。でも、名前はあった。」
もうひとりの羽生結弦という「実体」がある
羽生結弦という存在を見つめる羽生結弦と、羽生結弦でない何者か、このシンクロニシティ(共時性)によって、彼の稀有(けう)な芸術は成り立っている。「そこに、幸せはありますか。誰かと、つながっていますか。心は、こわれていませんか」の問いかけを経て、この「告白」から『GIFT』という物語は始まった。