「論理的な話し方が正しい」理屈っぽい人の大きな勘違い…なぜ交友関係を定期的にリセットしたくなるのか
モラハラ・DV加害者の当事者団体GADHA代表で、自らも加害の当事者であった中川瑛氏のもとには、人間関係で悩みを抱えるさまざまな人たちからの悩みや相談が寄せられるという。「あの人は合理的じゃないから嫌だ」「定期的にすべてリセットしたくなる」といった悩みに、中川氏が寄り添うーー。全4回中の4回目。
※本稿は中川瑛著『孤独になることば、人と生きることば』(扶桑社)から抜粋・編集したものです。
「人から縁を切られる」人は小さなサインを見逃している
Q1.人からなぜか縁を切られたり、距離を取られてしまうことが何度もあります。
これほど悲しいことはないかもしれません。自分は自然に振る舞っているつもり、あるいは気遣っているつもり、自分なりに頑張っているつもりなのに、なぜか人が離れていってしまう経験は深い傷を残します。
一方で、この相談だけで見えてくるものがあります。それは「なぜか」縁が切られてしまうという記述からも明らかです。つまり、「人に嫌だと言われたことを覚えていない」か「嫌だと言ってもらえない」人間関係を作ってきたことです。
いきなり縁を切る人はなかなかいません。縁を切るのは、普段から「ちょっとそれは嫌だなあ」とか「こういうふうにしてもらえない?」と小さく打診しても誠実に応答してもらえず「この人と生きるのは辛い」という体験が積み重なったときです。
もちろん、これまで言ってもわかってもらえなかったのだから、別れの時にわざわざ理由を言ったりはしません。ただ距離を取ります。こうして「なぜか縁を切られる人」が生まれます。
距離を取られてしまう人の、3つのタイプを紹介します。もしかしたらあなたはこのどれかに当てはまっているかもしれません。
一つは、軽んじるタイプです。「そんなの気にしすぎ」とか「大したことなくない?」「そんなこと言ったら自分も大変でさあ」と、言ってくれたことを受け取らず、相手の感じ方を否定します。日常の小さな「嫌だな」が積もっていけば、関係は終了します。「そんなことで?」「そんなことしたっけ?」と軽んじられるのが目に見えているので、離れていく人はその理由を伝えません。
他には過剰に反応するタイプもあります。何か伝えられると落ち込み、傷つき、自分なんて本当にダメだよね、死んだほうがいいよね、生きててすみません……と反応します。言った側は「いちいちこんな重く受け取られるならもう言わないでおこう」と困惑し、我慢を続けるうちに限界がきて距離を取ります。罪悪感を与えたくないので、離れる理由を伝えることはありません。
もう一つは、学ばないタイプです。その場で何かを言われたら「ああ、ごめんね」と言うのですが、何度も繰り返します。そうすると、嫌なことを繰り返された人は「この人に言っても意味ないな」と学習し、我慢の限界がきたら関係を切るでしょう。学ばない人に伝える意味はないので、離れる理由はわざわざ言いません。
このように、さまざまな理由で「なぜか縁を切られてしまう人」は生まれます。おそらく、小さなサイン、小さな理由は、関わっている中で何度も出されているのです。でも、それを誠実に受け取ることができていないのです。
相手のせいにしたり、環境のせいにして、自分ごととして引き受けない。あるいは、重く受け取りすぎて相手が気軽に感情をシェアすることを阻害する。そんな対応をやめることが、「なぜか縁を切られてしまう」人生を卒業するためのヒントになるはずです。
「リセットしたくなる」のは我慢しているから
Q2.定期的に、友達関係を全てリセットしてしまいます。そのときにはスッキリするものの、このままいくと自分はいつまでも長く続く友達ができないのかと思うと怖くもあります。
定期的に人間関係を全てリセットしたり、関係を遮断してしまう人は、長く続く友達を持ちづらいと思います。これまでと同じことを繰り返せば、これまでと同じことがこれからも起きます。
では「これまでと同じこと」とはなんでしょうか。リセットしてしまう理由はさまざまですが、その一つに「人間関係のほころびを小さなうちに修正する力」が不足していることがあります。
例えば自分がされて嫌だったこと、言われて嫌だったことを「このくらいで傷ついて何か言うと面倒くさいと思われるかもな」と我慢して相手に何も言わないのが典型的です。
そうすると段々居心地が悪くなります。人によっては「決まったキャラを演じることに疲れて全部リセットしたくなる」と表現します。それは「自分は嫌だと感じているのに、相手はこっちが喜ぶと思っていて、嬉しいふりをしないといけない」状態です。
それは辛いことです。定期的に嫌になってリセットしたくなるのも自然です。相手が望んでいるのは自分ではなく、自分が演じている人間ですから、自分という人間の輪郭を削り続けているようなものです。
そんな関係を変えるためには、自分の素直な感情を共有したり、その素直な感情を尊重してもらえるよう依頼をする必要があります。「今の言い方ちょっと嫌だったかも。今度からはこういうふうに言ってもらえると嬉しい」といったように。
リセット癖のある人は、誰かにお願いすることを強く恐れていることがあります。その裏にあるのは「自分の価値がないと思い知らされるので断られたくない」とか「馬鹿にされたり茶化されるかもしれないから弱さを見せたくない」といった不安です。
そして、これがさらに翻ると「いきなり距離を詰めて自分の全てをわかってもらえるかどうか確かめて、そうじゃなければいきなり関係を遮断する人」になったりします。ほころびを修正できないから、いっそ完璧を求めるのです。
自分を変えてでも一緒に生きていきたいという気持ちは、お互いの傷つきを小さく繕い続けてきた信頼から生まれます。リセット癖があったり、すぐに関係を遮断する癖があると、この信頼を誰とも積み重ねられません。
必要なのは、自分に素直になる小さな勇気です。そして、相手が示してくれた小さな勇気、小さなNOに誠実に応答することです。小さく小さく、ちょっとしたことから不満や嬉しいことを分かち合うことで信頼が生まれ、お互いがお互いのために変わっていける、変わっていきたいと思える関係を作っていけるようになります。
「合理的」は決して正解ではない
Q3.自分は理屈っぽい人間で、普通に話しているつもりが「怖い」「責めている」と言われます。ダラダラとした話を聞き続けるのも苦手で「要点は?」と聞きたくなってしまいます。
どんな人も、自分にとって話しやすい話し方、聞きやすい話し方というのがあります。文章で読むほうがスムーズな人もいれば、図やイラストで説明されたほうが頭に入る人、音声で聞くほうが負担が少ない人、さまざまです。
例えば仕事の作業においても最初に全体像を説明してほしい人もいれば、まず目の前のこととその次にやることくらいを教えてもらったほうが動きやすい人がいます。
大事なのは、自分の好みが唯一絶対正しい方法ではないという事実を認めることです。あなたの悩みを言い換えると、「自分の話しやすいように話すと嫌がられる」「相手の話しやすいように話されると辛い」になります。
お互いの得意な情報処理の仕方が「違う」ので、困っていることがわかります。ただし、「違う」のであって「優劣」ではありません。
理屈っぽい人は論理的な話し方のほうが「よい」「正しい」と思いがちですが、正確には「心地よい」が適切な言葉です。特別な努力や追加コストが不要で、楽なのです。
二人の得意な話し方や聞き方が「違う」という視点に立ってみましょう。そのとき、自分にできることは、相手がどんな話し方や聞き方が心地よいのかを知ろうとし、それを尊重することです。できる範囲で自分の話し方を変えてみようとするでしょう。
自分ばかり頑張っていると思うかもしれません。自分と同じように相手にも努力してほしいと思うことは、悲しくて、がっかりすることです。それが辛ければ、距離を取ったり、別れを選ぶことも自然なことです。
「この人の話し方は時々疲れるけど、距離を取るほどじゃないな」と思うこともあるかもしれません。人間、一つや二つ嫌なことがあったからといってそう簡単に別れを選ばないのはなぜか。それは、もう受け取っているものがあるからです。
話し方については相手は譲歩してくれないかもしれないけれど、他のことでは自分を尊重してくれているのかもしれません。自分が好きなことを一緒に楽しんでくれたり、辛いことがあったときに一緒に真剣に考えてくれる人なのかもしれません。