どうして…私たちはただ、羽生結弦が好き、それだけなのに「なぜ羽生結弦と共にある人々もまた、謂れのない報道をされるのか」

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「史実を歪める」「誤りの発信」
羽生結弦のコンテンツは絶大で、かつポジティブなコンテンツ力でもあります。
しかし、そうしたコンテンツでも伝える側の「伝える力」のベクトルによって大きく変わります。良くも悪くも伝える側次第、というのは当たり前の話ですが、この当たり前がとても恐ろしいことは、「史実を歪める」「誤りの発信」など過去の連載で語りました。
実のところ、ポジティブに「伝える力」とネガティブに「伝える力」は共に使い方を間違えると大きな歪みを生むことになります。
ネガティブに「伝える力」は言うまでもありませんが、ポジティブに「伝える力」もたとえば、自分の地元のご贔屓だからと客観的な事実や史実、記録を歪めて伝えるということは珍しい話ではありません。ましてそうした誤った、ポジティブに「伝える力」は時として、誰かの客観的な事実や史実、記録を歪めなければ成立しないことにもなりかねません。これもまた、羽生結弦と共にある方々は幾度となく体験していることでしょう。
ゴシップ誌は実のところ、誰もがイメージするネガティブに「伝える力」だけではなく、ポジティブに「伝える力」も駆使して、コンテンツ力のある対象物を利用しています。
なぜ人はゴシップ誌を喜んで読むのか
あくまで一般論ですが、たとえばスキャンダルなどはネガティブ、結婚や出産、成功などはポジティブでしょう。しかしポジティブをポジティブに伝えながら、ネガティブにも伝えることは可能です。