人は一歩先しか考えないので、その不安を取り除くために「一日一善」を行う…自分の運命への欲望が危険なギャンブルに駆り立てる(三浦瑠麗)
みんかぶプレミアム特集「人生逆転の開運」第4回は三浦瑠麗氏が語る。「運というのは作り出すもの、という言い方がある。自分で手繰り寄せ、引き寄せるものだと。しかし、確率論を知る人ならわかるように、そこにロジックは存在しない」。ではどうやって成功を掴める人は成功を掴んでいるのかーー。
目次
人はなぜ賭けにはまるのか
「わずか五分かそこらの間に、四百フリードリヒ・ドルほどの金が手もとに転がり込んだ。そこで帰ればよかったのだが、ぼくのなかにある種の奇妙な感覚が、運命への挑戦とでもいおうか、運命の鼻を明かしてやりたい、運命にベロを出してやりたいという願望が生まれた。そこでぼくは、許容された最大の掛け金、すなわち四千グルデンを賭け、みごとに敗れ去ったのだ。そこでかっとなったぼくは、手もとに残っている持ち金をすべて取り出し、同じ目に賭け、またしても敗れ、そのあと、呆然自失の態でテーブルから離れた。自分に何が起こったのか、それすらわからず、食事の直前になってようやく自分の負けをポリーナに報告した。その時まで、ずっと公園内をふらついていたのだ。」
ドストエフスキーの小説『賭博者』(亀山郁夫訳)の一節である。ルーレッテンブルグという空想上の都市で日夜繰り広げられるギャンブル。ルーレット台に群がる者はみな、老若男女に至るまで賭けに取り憑かれ、カネの亡者となっている。賭け事にはまってにっちもさっちも行かなくなってしまった甥の将軍を叱る、傲慢で辛辣なモスクワの女地主「おばあさん」も例外ではない。彼女はビギナーズラックで大変なもうけを手にして歓喜し、皆にばらまいたあと、負けがこんでみごと素寒貧になる道をたどっていく。ルーレッテンブルグは、まるでガードレールに衝突してひっくり返るまで止まってくれないブレーキのない車に似ている。人々は、自分が破産するまで賭けをやめられないからだ。主人公の「ぼく」=アレクセイはそれを見通している。賭け事にはまる人は、自分の運を信じているのだ。権勢欲がつよく、強情で自らを恃む「おばあさん」の性格がその場の勝ちを自らの実力と勘違いさせる。負けるとその負けを取り戻せると信じてさらに深みにはまっていく。