「あの震災を伝えたい」”存在が芸術”羽生結弦の社会性…伝説の中で生きる私たち

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ニジンスキーのまだ見ぬ芸術と羽生結弦
「ニジンスキーは本当に空が飛べたんだよ」
バレエの歴史を変えただけでなく、20世紀の舞台史すべてに影響を与えた天才バレエダンサー、ヴァーツラフ・ニジンスキーの伝説である。ニジンスキーのジャンプはいつまでも降りて来なかった、空中で静止した、ニジンスキーはまさしく「神の道化」だ、と。
しかしニジンスキーのその姿は映像に残っていない。私たちはニジンスキーの残された『薔薇の精』『牧神の午後』『アルミードの館』『春の祭典』などの写真から想像するしかない。ニジンスキーの活躍はわずか10年足らず。彼の短いバレエ人生の中で披露されたこれらの演目を、幸いにして目にすることのできた、1910年代の「推し活」の大先輩たちによる声を、「伝説」として書物で紐(ひも)解くしかない。
そしてそのニジンスキーと同じ時代を生き、ニジンスキーを目にすることのできた人々と同様に、私たちは今、羽生結弦という同じくフィギュアスケートの歴史を変え続ける「伝説」とともに生き、目にするという、僥倖(ぎょうこう)の只中(ただなか)にある。
羽生結弦の憧れたエフゲニー・プルシェンコもまた、そのニジンスキーの伝説に取り憑(つ)かれたひとりである。彼の代表的なプログラムのひとつ、『ニジンスキーに捧ぐ』はいまさら説明するのも憚(はばか)られるほどの名演だが、私はプルシェンコの偉大さを認めながらも、のちに羽生結弦がそのオマージュとして演じたプログラム『Origin』こそ、ニジンスキーのまだ見ぬ芸術を掴(つか)みかけたのではないか、と確信している。もちろん、どちらが上か下かの話ではなく、プルシェンコはプルシェンコであり、羽生結弦は羽生結弦であるという、ただそれだけの話として。