月40万円、2100万円の退職金…「生涯安泰」のはずの国家公務員になぜ「辛い老後」が待ち受けているのか
リストラや倒産の心配がなく、福利厚生が充実し、不況時にもボーナスが支給されないことがない職業と言えば、思いつくのは公務員だろう。中でも日本が誇る頭脳集団である国家公務員は誉れ高く、夜遅くまで奉仕する姿に胸を打たれる人も少なくない。だが、令和時代のキャリア官僚は「公務員になれば生涯安心」とは思わず、苦悩する機会も増えているのだという。その理由とは――。
「そりゃあ、高校時代の同級生と比べれば良い所得があるとは思いますよ。でもね、それだけで気持ちが維持できるかと言えば、必ずしもそうではないんですよ」。アラフォーとなった中央省庁のキャリア男性Aさんは東北地方の名門高校から国立大に進学し、入省後は着実に幹部職員候補としての道を歩んできた。だが、結婚を機に悩むことも増えてきたという。
「国家公務員は国家・国民のために奉仕するのが仕事。もちろん、やり甲斐はありますよ。ただ、子供たちのことを考えるとね…」。昨年、久しぶりに開催された大学同期との懇親会で何とも言えない複雑な気持ちを抱いたのだという。隣に座ったのは外資系証券会社でバリバリ働く「億り人」、テーブルの向こう側には起業後に事業を売却して巨万の富を得た社長たちが並んでいた。
話題の中心は「FIRE」。欧州に別荘を購入した同期は移住する計画を打ち明け、別の者は英語教育の重要性から子供と米国に移り住む考えを披露する。「世界経済の行方」がテーマになれば、Aさんの口も滑らかになったものの、どこか虚しさが残った。大学卒業まで成績は常にトップクラスで「お前には勝てない」と羨望の眼差しを受けてきたものの、いつの間にか立場が逆転してしまったと感じたからだ。
「自分は幼い頃から進学塾をはじめ多くの習い事のお金を親に出してもらってきました。2つ上、3つ上の学年までの勉強を先にやることができたので、定期テストや受験の対策で困ったことはありません。できることならば、自分も子供に同じようにしてあげたいですよ。でも、悲しいことに私の稼ぎでそれはできません」。Aさんの月収は40万円強で、結婚後は職場に近い賃貸マンションで妻、小学生の娘と暮らしている。大学同期から「ジュニアNISA」(未成年者少額投資非課税制度)の活用を勧められても余裕がないのが本音だ。
「お金がすべてではないし、お金持ちになるために官僚になったわけでもない。ただ、上司や国会議員の先生方から怒られたり、残業で深夜まで働き続けたりしても『お前は国家公務員だから安定していていいよね』と言われると、何だか切ない気持ちになってしまいますね」。一人娘の教育費と自らの老後に不安を抱いたAさんは今、友人のベンチャー企業への転職を真剣に検討し始めている。
年功序列、終身雇用といった従来のシステムが色濃く残る公務員の世界は、順調に出世の階段を駆け上ることができれば決して給与は低くない。モデル給与例(2021年度)を見ると、25歳の係員の年間給与は314万9000円、35歳係長は450万1000円、本府省課長補佐(35歳)は715万5000円、地方機関課長(50歳)は667万円だ。日本の平均給与である約443万円と比べれば、恵まれているように映る。定年退職金(常勤)も平均約2100万円というのも悪くはない。
ただ、その「労働環境」は必ずしも良いとは言えない。人事院の「令和元年度 年次報告書」によれば、超過勤務の年間総時間が360時間を超えた職員の割合は全府省平均で22.0%に上る。本府省の年間平均は356時間で、「720時間超」という職員も7.4%に達した。民間の約130時間と比べても際立っており、長時間労働を強いられるブラックな実態が浮かび上がる。
内閣人事局の調査(2020年)を見ると、20代官僚(Ⅰ種・総合職)の約3割、30代職員の15%程度が過労死ラインの目安となる「月80時間」を超える残業をしていたという。メンタルヘルス不調で1カ月以上休む職員(長期病休者)も増加傾向にある。
過酷な労働で睡眠障害を訴えるAさんは、老後資金の不安も抱く。かつては幹部職員となれば、民間企業への「天下り」で高収入を確保し、複数の会社で退職金を得る猛者も見られたが、2007年の国家公務員法改正に伴い再就職規制が強化され、国民のチェックを受けるようになった。
副業解禁時代が到来したとはいえ、公務員は地位の特殊性や公共性から副業が認められておらず、株式取引といった投資も「国民の疑惑や不信を招くことがないよう各省庁に必要な措置を講ずる」(1995年の事務次官会議申し合わせ)とされ、その後、2000年に施行された国家公務員倫理法で、本省審議官級以上の職員に株取引等報告書の提出が義務づけられている。
老後生活を支える年金で言えば、以前は国民年金に加えて保険料が低い共済年金にも加入することができた。しかし、2015年に厚生年金制度に統一され、職域加算も廃止。昔と比べ、もらえる年金は少なくなっている。加えて、転勤・広域異動に伴う生活拠点の二重化は資金面だけではなく、計画的なライフプランを狂わす。
たしかに勤め先が倒産しない、リストラの心配がないというのは今の時代も恵まれていると言えるかもしれない。ただ、成績優秀者が集まる頭脳集団はいかにスキルが高くても副業ができず、再就職や株式取引などもチェックされ、年金や退職金が減少傾向にあることを踏まえれば、かつてほどの「うま味」はなくなっているのは間違いないだろう。
2019年、金融庁のワーキンググループは、収入を年金のみに頼る無職夫婦世帯(夫65歳以上・妻60歳以上)のモデルケースでは、老後の生活資金が2000万円不足するとの試算をまとめた。算出のもとになった2017年の総務省「家計調査」で見ると、実収入は実支出より月5万5000円不足する。この数字はデータによって異なるものの、この「老後2000万円」問題を前提とすれば、国家公務員といえども退職金に依存した老後生活は危険がつきまとうことを意味する。
実際には、それまでの預貯金をはじめとする貯蓄もあるだろうが、仮に夫と妻がそれぞれ65歳から老齢年金を受給し、年金収入(年240万円)だけで暮らした場合には、日常生活費などで2000万円あった預貯金は、夫85歳・妻80歳を前に底をつく計算となる。超高齢社会の到来を考えれば、親の介護費援助やシニアの仲間入りをした自分たちの医療費もかさむだろう。長く住み続ければ持ち家のリフォーム費用なども必要になる。
今春から中央省庁で働く道を選んだ国立大のBさんは語る。「自分が官僚になるのは学歴社会の1つの到達点のような気がしたから。国家公務員でなければできない経験もあるだろうし、親も喜んでくれますからね。でも、スキルを磨いたら30代で辞めて起業するつもりです。『公務員は生涯安泰』って古い考えですよ。一度きりの人生なんだから自分を高めて、将来不安を抱くことがないだけのお金も得ながら、楽しい人生を歩みたいですね」
2022年度の国家公務員採用試験の申込者(総合職)は1万5330人と前年度から微増したものの、現行試験下で2番目に少なかった。「最強官庁」といわれ、成績トップ者が入省することが多い財務省(旧大蔵省)だが、今春採用者には外務省が人気だったという。情報が溢(あふ)れ、価値観が多様化する時代には、キャリア官僚たちの視界にも「新しい世界」が広がっているのかもしれない。