被災者・羽生結弦が停電の避難所で見た「満天の星」…震災と対峙する”芸術家の勇気”と社会性

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東日本大震災の被災者と真正面から向き合った芸術家
3月11日、東日本大震災。
筆者の妹は岩手県に嫁いでいる。あの時、2011年3月11日、彼女のお腹には命が宿っていた。幸いにして難を逃れ、車の中で避難生活を続け、そして生まれた子はいま、元気な小学生の女の子、それどころか来年には中学生である。
あれだけの災害も、それだけの時が経ってしまった。
死者1万5900人、行方不明者2523人(警察庁、2022年3月発表)。生まれた命と、消えた命。この間違いなく私たちの時代に存在した現実と「想い」に、同じ被災者として真正面から「フィギュアスケート」を通して向き合ってきた、アスリートであり芸術家が、羽生結弦である。
その真正面に、どれだけの人が救われただろう。
プロとして震災に向き合う「結弦の勇気」を理解できるか
2023年3月10日から12日の3日間、宮城県利府町のセキスイハイムスーパーアリーナで羽生結弦は、プロとなって初めて、この「震災」と再び向き合おうとしている。もちろん、それまでも競技者として、被災者として多くの復興支援を続けてきたことは周知のとおりである。金メダルの報奨金はすべて宮城県や仙台市に寄付した。著書『蒼い炎』『蒼い炎Ⅱ』の印税もまたすべてアイスリンク仙台に寄付した。活動費はいくらでも欲しいはずなのに、それでも羽生結弦は人々のために身を切った。それ以外も長年、公言することのない寄付や協力も被災地に続けている。
そして羽生結弦はプロとして初めて迎える2023年の3.11も「フィギュアスケート」を選んだ。それまでもそうだったのだから当たり前、と思う向きもあるかもしれないが、筆者はそう思わない。むしろプロのフィギュアスケーターだからこそ、震災というセンシティブな対象を選ばないという選択肢もある。実際、有名な芸術家や芸能人、スポーツ選手の中にも、そうした社会性を帯びた題材をあえて選ばずエンタメに徹するクリエイターもいる。もちろんそれはそれでありだ。しかし羽生結弦はプロとなっても真正面から震災という日本の悲劇に向き合う。「プロになったからこそ」と。それはある意味「勇気」とでも言おうか。こうした姿勢を指して、かつて筆者は羽生結弦というフィギュアスケーターには社会性とともに作家性があると説いた。