「マスク村社会」のガン化…真夏でも”絶対着用”の日本で、コロナ大爆発を憂うフランス哲学者
諸外国ではマスクなし生活が当たり前になっているが、それでもマスクの着用を頑なに国民が続けている日本。そんな日本で新型コロナウイルスの感染拡大が続いている。7月23日はその日の新規感染者数が日本全体で20万人を突破した。一方で日本列島を猛暑も襲っている。そんな中でフランス哲学者の福田肇氏は「マスクとはただの『記号』である」と指摘するー-。
AEDの事例から考えると
AED(自動体外式除細動機。電気ショックを与えて心臓のけいれんを取り除く機械)が普及してひさしい。いまや、学校、役所、ショッピングモール、駅など、いたるところに設置されている。それにともない、AEDの使用と心臓マッサージなどを組み合わせた「蘇生術」を学ぶ講習も定期的に実施されている。私も、いままで数回受講した。それを実際に使うべき場面にでくわしたことは、まだないのだが。
もちろん、一般の人が心肺蘇生の技術を習得し、心肺停止に陥った患者さんに応急措置を施すことで、その人の生命が助かる機会が増えるのなら、それに越したことはない。
しかし、実は、心肺停止蘇生という処置の有効性はきわめて低い。医療社会学者ステファン・ティマーマンズの報告によれば、1990〜1991年のニューヨークの調査では、この種の救急救命の救命率は、なんと1.4%だったそうだ。
もちろん、ティマーマンズが援用した調査から30年も経っているから、救命率はもう少し上がっているかもしれないが、気道確保、人工呼吸、心臓マッサージ、電気ショックという一連の処置は基本的に同じなのだから、劇的な救命率の上昇は考えにくい。
それでは、客観的にはほとんど有効性を期待できない心肺停止蘇生の応急処置に対して、人々はなぜ積極的に医療資源を投入し、また講習に時間を割くのか。