タバコ、生食、太陽光…箸の上げ下げまで国が決める日本から自由は消え、「生きづらさ」が残り、最後は地獄が訪れる
なぜ映画の名シーンにタバコはつきものなのか
いゃね…俺ァね…5年前にさ…心臓を切った大手術をしたんですよ。それ以来、ぷっつり医者に言われてこの、大好きだったタバコを、こう禁煙している訳。…でも吸っちゃおうかなーって思っているんだけれど。ああ、看護婦さんだったね、良くないんだろ。うーん、まあ…。誰も居ませんね…。ちょ、ちょっとだけ。いやー、はぁ、はぁ、なんせ5年ぶりですからね。でもいいもんだね、ふふっ。看護婦さんだから、よく、そんなことは御存じだと思うけども、命ってやつぁ…何にも代え難く、そしてこう重い…、大切なものだ。看護婦さんだから、よぉーく分かると思うんだがね…。
1986年11月14日。昭和、いや戦後日本を代表する刑事ドラマ「太陽にほえろ!」の最終回。“ボス” こと藤堂俊介を演じる石原裕次郎が見せた名演だ。台本を一言一句変えないことに定評があった裕次郎。しかし、この回ばかりは違った。
「このシーンを俺にくれないか」
そう語って生涯唯一とも言えるアドリブを見せた昭和の名優の演技に、監督や脚本以下、スタッフが皆、固唾を飲んで見守ったという。
主役は紛れもなく、裕次郎その人だ。ただ、くゆらした紫煙は、脇役と言うには惜しい、強い存在感を放つ。筆者は同時代人ではないが、このシーンを初めて見たときの衝撃は今も忘れがたいものだ。
もう1点、お付き合い頂きたい。宮崎駿監督の「風立ちぬ」だ。サナトリウムから抜け出し、航空機エンジニア、堀越二郎と同居生活を始めた結核患者の妻・菜穂子。仕事を持ち帰った二郎は、設計に頭を悩ませる。床に伏せる菜穂子は、そんな二郎の手を握り続ける。
「こうしててあげるから、もうお休み」「離さない?」「うん。離さないよ」
「タバコ吸いたい、ちょっと離しちゃだめ?」「ダメ。ここで吸って」「駄目だよ…」「いい」
こんなやり取りの後、二郎は煙草に火をつける。不治の病に肺を侵される妻の隣でくゆらす紫煙。夫は、たとえ最愛の妻の命を削ってでも理想の航空機作りに情熱を注ぎ、妻もそれを承知で支える。何よりも命が大切だと訴えた裕次郎とは逆に、ここでは物質的な命ではなく、2人を繋ぐ精神的な絆にこそ、尊さがあることを描く。毀誉褒貶の激しいこの作品だが、このシーンから初見で受けた衝撃(もちろんいい意味での)は、庵野秀明の演技に次いで大きかった。