「帝国ホテルを一部貸し切りに」「司会はダウンタウン」吉田豪は語る!ヤバすぎる“出版社の打ち上げ”栄枯盛衰…たまらずリリー・フランキーが放った一言
出版業界で不況が叫ばれ始めて久しく、出版物の販売実績が1996年に約2兆6500億円にピークを迎えて以降、年々下降していっている。現在も出版社数や書店数の減少が顕著で、市場環境は悪化の一途をたどっているが、長年業界に身を置くプロインタビュアー吉田豪氏は、「打ち上げ」において、その好況、不況ぶりを感じ取ることができたという。みんかぶプレミアム特集「世界・日本経済『大激変』」第4回。
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至れり尽くせりだった出版社全盛期
ここ数年でさらに不況が進んだ感のある出版業界ですが、92年に出版の世界に入って業界のバブルを経験したことがあるボクとしては、やっぱり90年代〜2000年代初頭はすごかったと振り返ることがあります。
松本人志さんとの裁判でいまも話題になっている『週刊文春』ですが、母体の文藝春秋は『Number』というスポーツ総合雑誌も作っていて、まあとにかく原稿料が高くて、ボクが当時書いている媒体の10倍ぐらいだったわけですよ。言ってしまえば普段のところが安すぎるっていうことでもあるんですが(笑)。インタビュー1本でプロレス雑誌編集者時代の月給以上のギャラがもらえるし、打ち合わせでは何か食べさせてくれるし、終わった後の打ち上げでも御馳走を食べさせてくれるし……とにかく良くしてもらいました。
だから00年に文藝春秋から『Title』というサブカル雑誌が創刊されたときは、ボクみたいなライターはみんな大喜びしたわけですよ。ところが、書評家の豊崎由美さんが渡辺淳一の本をいじったことがとんでもないトラブルに発展して、編集者が総入れ替えになって、連載陣もほとんど切られて、誌面も大幅リニューアルで普通の雑誌になった後、08年に休刊。あのときはショックだったし、気がつくと文藝春秋との接点もなくなりましたね。
でも、一時はなぜか『週刊文春』で真樹日佐夫先生のインタビュー連載をやったこともあるし、実はすごく重要なことに関わっていたこともあります。それが、ジャイアント馬場さんが亡くなったときの記事。編集部が裏取りできずに困って、つながりのあるボクが編集部に呼び出されたんですよ。そこからいろんな関係先に電話をして、どうにか裏取りができた瞬間、ボクが文春に「いま裏が取れました!」と、ゴーサインを出して記事になったという。
竹中平蔵と知り合う機会は「打ち上げ」だけだろう
バブルの時代、とくにわかりやすかったのが忘年会やパーティです。ボクはなるべく顔を出すようにしてたんですが、その雑誌で書いている人たちが一同に集まり、一次会、二次会へ流れると嫌でも密になって打ち解けてくる。ジャンルが全く違う人たちと仲良くなって、そこから生まれる仕事もあったりして、有意義な時間だったと思っています。
それが今や、不況やコロナの影響で忘年会もめっきり少なくなって、というか出版業界だと大手漫画誌以外では忘年会というものをやらなくなってからおそらく15年ぐらいになってるので、同じ媒体で書いている人たちと交流することがなくなりました。それこそ『みんかぶマガジン』で書いててる竹中平蔵さんと仲良くなるって、今後打ち上げとかで会わない限りありえないじゃないですか(笑)。そういうカオスな場が面白かったのに、ネットでは同じような思想の持ち主としか仲良くなれない部分がありますからね。