能登に心の「春の女神」佐保姫と羽生結弦がおりました…希望に満ち溢れた演技会「春よ、来い」

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希望としての「春」
まだ夏と言ってもいいでしょう。
残暑と言うにはあまりに暑い。
本来、季語の上では秋分過ぎたら秋ですから、日本の季節も以前とはずいぶん変わったものです。9月15日、能登も例外ではなくとても暑かった。哀しいころに8月6日には輪島市で70代男性が熱中症で亡くなっています。
それでも、羽生結弦と仲間たちは石川、健民スポレクプラザのアイスリンクで開催された『能登半島復興支援チャリティー演技会~挑戦 チャレンジ~』で「春よ、来い」を披露しました。
繰り返しますが9月30日までの見逃し配信があります。ぜひ一人でも多くの人に観て欲しいので何度でも書きます。ドコモの映像配信サービス「Lemino」で観ることが可能です。観ると能登の人たちのための寄付になるだけでなく羽生結弦とその歴史の、時代の子の目撃者になれます。
ところでこの「春、そもそも季節の「春」というだけではないように思うのです。出会いの春、別れの春、出発の初、再会の春――私たち日本人、いや「春」を知る人にとって春とはもっと精神的な、人生の節目として、あるいは希望としての「心の春」のように思うのです。
能登の人々の「春」とは何でしょう
その「春」の心もまた人それぞれでしょう、例えば雪深い地方の方々が望む「春」には切実な想いがあることでしょう。それこそ風雪を耐える中での「希望」であるように思います。卒園卒業、入園入学、生老病死それぞれに、それぞれの「春」もあります。
では能登の人々の「春」とは何でしょう。能登の人々の「春」――。
それは復興はもちろん、震災以前の暮らしを取り戻す希望もあるでしょう。能登を離れた人々と再会することでもあり、新たな出会いが待っているということも「春」でしょうか。
それは何気ない日常であり、本来は日常として平穏に流れるべきである、それが震災によって壊されてしまった、それでも「春」は来る、いや「来い」。お願い、来て――。必ず春は来ます、いや、心からの「春よ、来い」という願い、その心の季節の輪廻が羽生結弦のハイドロブレーディングに顕現することは言うまでもありません。
人々のためだけでなく、彼自身の願いも込められたハイドロだ
氷を通して大地に寄り添う、大地はその人々が生きる場所――その地が静まってほしい、という意も羽生結弦は語っていますが、人々のためだけでなく、彼自身の願いも込められたハイドロだったのでしょう。
そして空に浮かぶようなアクセルは、長い長い滞空は春を呼ぶ女神に重なりました。そう、美しい衣を纏い春とともに舞う佐保姫のよう。
佐保姫は短詩の季語にもなっています。その場合の佐保姫は春の象徴ですね、心の春という心象風景です。まさに羽生結弦の「春よ、来い」ですね。
「少しでも笑顔になれるような、癒やされるような」