綺麗事で人は救えない…いや、断じて違う。羽生結弦はあきらめない。能登、震災そして豪雨「挑戦」は終わらない。
目次
強いられる自助努力と自己責任に押しつぶされそうになる時代
みんな一生懸命だ。
心ある人は、みんな一生懸命だ。
みんな能登を、見捨ててなんかいない。
それでも――現実は、残酷だ。
2024年1月1日、能登地方。
地震があって、家が壊れ、人が死んで。
一生懸命に、助ける人たちがいた。
復興のために現場に向かう人たちがいた。
遠くで祈る人もまた――それも一生懸命だ。
それを「綺麗事」「無駄」と笑う人はいる。
強いられる自助努力と自己責任に押しつぶされそうになる時代。
苦しんでいる人たちを「コスパ」で選別する人たち
今だけ、金だけ、自分だけ。
「人間なんてみんなそうだろ」という冷笑と歪んだニヒリズムに肯定される時代。
当時、政府は能登復興に際してこう言った。
「維持管理コストを念頭に」と。
石川県の馳浩知事はそれに対して、
「冷や水をバケツでぶっかけられた気持ち」
「上から目線でものを言われているよう」
と反論した。
苦しんでいる人たちを「コスパ」で選別する人たちがいる。
知事の言う通り、一生懸命の人たちに冷水をバケツでかける人たちがいる。
それでも、見捨てなかった。それでも、彼は動いた
それでも、見捨てなかった。