氷上に浮かぶ五線譜と音符の激流、そして「あふれるばかりのいのち」…羽生結弦『Echoes of Life』埼玉公演
目次
「ピアノコレクション」
ガラスの天井を砕くには「偉人」が必要だ。
ルネサンス、バロック、ロココ、リアリズム、アール・ヌーヴォー、シュルレアリスム、ダダetc――芸術史とは常に破壊と再生だ。
まさにNova、その光は明滅を繰り返す。これもまた羽生結弦という革新の証左である。次の時代の人、ということだ。
そのクライマックスこそ「ピアノコレクション」にあったように思う。ブラームス、J.S.バッハ、スカルラッティ、そしてショパン――。
五線譜と音符の激流
氷上に浮かぶ五線譜と音符の激流と一体化する羽生結弦。
どれだけ過酷なことか。
羽生結弦だからこその身体芸術、氷上芸術、唯一無二のシンクロニティ。
まさに羽生結弦の芸術そのものに共時性が備わっている。強靭なアスリートとしての肉体が情動する。確かなエッジを以て。
なるほど、これが羽生結弦の考える「いのち」であり、「わたし」であり「運命」、そして「奇跡」に至る、ある種の表現主義ということか。
セットリストすべてに触れるわけにはいかないため抜粋はお許し願いたいが、Novaの旅路はやはり羽生結弦の旅路と重なり、私の脳裏を熱くする。また構成は前後するが「全ての人の魂の詩」『ペルソナ3』もまた大好物過ぎるので、また別の機会としよう。ベルベットルームでさんざんペルソナを合体させた方もいるだろう。
そして、涙。
困った、ここで「Danny Boy」は反則だ。どこかでわかっていたつもりでも、反則だ。嬉しい反則だ。私は感極まる他なかった。困った。そして、涙。
羽生結弦は、これほどまでに命とひたむきに、それこそ真っ直ぐ向き合っている。
自分の「いのち」を賭して、命と向き合っている。
これまでの羽生結弦の歩みでわかっていたつもり――いや、まだわかっていなかったということか。
命とは「生まれ」「生きる」という「生」の二律背反にある。
「生まれて生きる」は当たり前ではない。
「生まれて生きた」は至当だが、寿命もそれぞれなら生の続く、続かないも「わたし」の思い通りの生、あるいは死を遂げることもあれば、ままならぬ死を迎えることもある。
「生まれて生きない」は長短あれど、誰もが迎える帰結である。
「生まれず生きた」もまた、多くそうした母親の想いとしてはあるだろう。