何度でも語りたいAIPS「今世紀最高のアスリート」選出の快挙…羽生結弦、そしてモハメド・アリとその時代(3)

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人として態度の人=社会性の人
モハメド・アリはまさにアスリートとして、人として態度の人=社会性の人であり、歴史の子であり、時代の人であった。
なるほど2024年、国際スポーツプレス協会(以下・AIPS)の選ぶ今世紀最高のアスリートにアリ、そして羽生結弦が選ばれたことはきわめて至当である。
いまやアリの存在は伝説のタイトルマッチ「キンシャサの奇跡」(1974年)など、数多くの名試合と共に「神話」となりつつある。その対戦相手、ジョージ・フォアマンも先日この世を去った。
〈自分がどんな道を進んでいるかわかっているし、真理も知っている。他人が望むとおりの人間になる必要はない。俺には、なりたいものになる自由があるんだ〉 ※1
遡ること1965年、アリ22歳。プロ駆け出しのアリは「史上最も威圧的なボクサー」と呼ばれたソニー・リストンとのタイトルマッチのチャンスを得た。
勝てるわけがないと当時の記者46人中43人が対戦相手のソニー・リストンの勝ちを予想した。
まだアリは「カシアス・クレイ」という奴隷の名でリングに上がっていた。あまりの前評判に「国歌斉唱まで持たない」と皮肉を言う記者もいた。実際、リストンとの試合で第一ラウンドを超えたボクサーは二年以上いなかった。
しかし、第一ラウンドを終えて立っていたのはアリだった。
大番狂わせに怒号の観客、賭けのオッズは7対1で損した客ばかり。リストンを1ラウンドで仕留めたアリはテレビカメラに向かってこう叫んだ。
〈俺は世界の王者! 俺は美しい! 俺は危険な男! 俺は世界の度肝を抜いた! 世界を震撼させた! 度肝を抜いたんだ!〉 ※2
時代の子を運命づけられた二人
その後の記者会見で語ったのが冒頭の「なりたいものになる自由」である。そして奴隷の名を捨てモハメド・アリとなった。
アリ、22歳でこれだ。早熟ならいいというわけではないが、やはり大人物は何もかも桁が違う。
思えば羽生結弦もまた同じ22歳でグランプリファイナル史上初の4連覇、すでに19歳のときにソチオリンピックで金メダルを獲っている。アリも18歳でローマオリンピックの金メダルを獲っている。ふたりともすでに10代から背負うものがあった、時代の子を運命づけられた二人である。
アリは栄光のままプロ引退、稼ぎは景気よく寄付し続けた。だがヘビー級のパンチを浴び続けた脳は深刻なダメージを負っていた。さらにパーキンソン病を発病、アリの代名詞「蝶のように舞い、蜂のように刺す」どころか四肢は震えるばかりで動くこともままならない身となった。
それでも――アリは姿を現した。1996年アトランタオリンピック、聖火台に立ったのは真っ白な衣装を身にまとったアリだった。
伝記作家、ジョナサン・アイグはこう記す。
〈彼の右手は、火の点いていないトーチを握りしめていた。左手は大きく震えている。彼を久しぶりに見る人々には、ショッキングな光景だ。アリは無表情だった。トーチが触れ、火が移った。彼は背筋を伸ばし、トーチを高く掲げた。カメラのフラッシュが光った。観客は叫び続けた。左手はずっと震えていたが、彼はしっかりとトーチを握っていた〉 ※3
〈アリが両手でトーチを握ると、震えが止まった。着火装置に火を灯そうと、神経を集中し、顔をしかめながら身をかがめる。(中略)トーチを落としてしまうかもしれない。最悪、身体に火が移ってしまうかもしれない〉 ※4
それでも、無事に聖火は灯った。
「職業 モハメド・アリ」「職業 羽生結弦」
30億人が見たというこの光景、アリは「職業 モハメド・アリ」を全うした。
〈彼ら(観客)は、恐れずに自分の弱さをさらす男を見た。生命力に満ち、不死身にすら思われた若い頃、アリは幾度となく「死など怖くない」と語っていた。アリの震える手を見た人々は、その言葉を思い出していた〉 ※5