「拘置所にいたおかげで、殺すのを後回しにされた」兜町の風雲児が考え出した斬新すぎる投資のスキーム

宮地鉄工所の仕手戦を仕掛けた後、所得税法違反(脱税)で逮捕された加藤暠(あきら)。しかし加藤は決して諦めることなく、拘置所の中で新たなスキームを考え出した。勾留中に身近な人物が不審な死を遂げる中、釈放された加藤は何を考え、どう動いたのか。ノンフィクション作家の西﨑伸彦氏が描く。全3回中の3回目。
※本稿は西﨑伸彦『株の怪物 仕手の本尊と呼ばれた男・加藤暠の生涯』(宝島社)より抜粋・再構成したものです。
第1回:200円の株価が2900円に!「兜町の風雲児」が仕掛けた伝説の仕手戦
第2回:「ホテルオークラ史上最大規模のパーティー」を開いた男は田中角栄の誘いを断り、東証・大蔵省・四大証券につぶされた
目次
拘置所で考えた新たなスキーム
所得税法違反(脱税)で逮捕された加藤暠は、東京拘置所の勾留中に密教に興味を持ち、仏教書を耽読する日々を過ごした。マスコミは、加藤が相場の世界に復帰することはないとの見方を強めていたが、岡三証券時代の同期が差し入れた『会社四季報』にも目を通し、株の動きを研究して再起に向けた準備も怠らなかった。
そして一九八三年八月二十七日、六度目の保釈申請がついに認められ、加藤は二億円の保釈金を払って、約二年半ぶりに娑婆の土を踏んだ。保釈金は久保田家石材の役員だった木倉功が出したと言われていたが、木倉自身は筆者の取材に「そういう話になっていますが、僕は関係ない」と否定している。
保釈当日、報道陣は全くのノーマークで、ひっそりと東京拘置所を後にした加藤は、早速ホテルオークラ別館を拠点に活動を再開。株価暴落で損失を被った誠備会員への謝罪に追われる日々のなか、水面下では復活に向けた青写真を温めてもいた。
「新しい仕組みを考えました」
港区赤坂のマンションの一室。神棚が恭しく祀ってある室内で、加藤は知人の証券マンから紹介された日商インターライフの創業者、天井次夫を前に、ボードに手書きで図解しながら熱っぽくこう語っていた。
「今まで大口顧客を会員にして仕手戦をやってきたが、結局は抜け駆けされ、自分の思うような相場にならなかった。そこで資本金五億円程度の会社を十個ほど作り、客には出資して株主になって貰う。会社が株を運用し、一定の株価になったら、客にもその銘柄を個人で買わせ、株価が上がったところで少しずつ売る。今度はそれを別の会社が拾う。会社は儲からなくていい。利益を客に転換する」
天井は、その斬新な発想に唸るしかなかった。のちに衆院議員の新井将敬を囲むベンチャー人脈の異業種交流会「B&B(ベスト&ブライテスト)の会」の中心メンバーとなり、「日本ベンチャー協議会」を主宰した天井は、二〇二三年十一月に他界したが、亡くなる半年前、筆者の取材に「加藤に会ったのは約四十年前だったが、その時の強烈なインパクトは今も忘れられない」と語っていた。