羽生結弦の“勇気”の話をしよう。絶望と死神ばかりの世界…興行の世界で希望に手を伸ばす“勇気”の話を。『羽生結弦をめぐるプロポ』「勇気」(2)

目次
手を伸ばす勇気
絶望ではなく、希望と共に前に進む勇気。
その希望とは自分だけの希望ではないみんなの希望。
羽生結弦という存在と、大好きなフィギュアスケートを「使う」勇気。
そうだ、勇気だ。
多くの人は「好き」をそうした他者のために惜しみなく「使う」ことを躊躇する。それは当たり前の話で、生きるための業なのだから当然の話。誰に非難できることではない。私だってそうだ。まず自分の生活なり、達成がなければ生業は成り立たない。まず自分だ。
しかし、そうではなく惜しみなく「使う」ことを躊躇しない勇気の人はいる。自分のこれからがどうなるか、お金だって欲しいし仕事がいつまで続けられるかわからない。寿命の前に選手寿命という限界が必ず訪れるアスリートならなおさらだ。
フィギュアスケートに限らずスポーツとは怪我のひとつで選手生命が絶たれる、つまるところ仕事を失う残酷な世界である。
芸術だってそうだ、ここは創作でもいいだろう。どれだけの作者が心半ばに消えたことか。書けなくなる、描けなくなる、弾けなくなる、吹けなくなる、撮れなくなる、踊れなくなる、演じられなくなる、何も考えられなくなる――そうした「何もできなくなる日」はある日突然訪れる。あるいはじわじわと自身を追い詰める。
それが年齢か、心の病か、あるいは才能の枯渇かはそれぞれだが、その日は若くしてやってくることもあれば幸いにして死のその時まで来ないこともある。
創作者は常に死神に取り憑かれている
創作者は常に死神に取り憑かれている。その鎌をあてがわれるのが早いか、遅いかでしかない。
ある意味、フィギュアスケートはスポーツと芸術の良い面と同時に残酷な面を二重に負っているともいえる。冒頭に引いた『メダリスト』はその厳しさと喜びとを実に丁寧に描いていると思うが、そこに羽生結弦を想うのは必然でしかないだろう。
そのアニメ化作品『メダリスト』の主題歌でもある米津玄師『BOW AND ARROW』PVの羽生結弦と作品とのシンクロニティもまた必然である。「行け」そして「飛べ」こそ勇気の証。
これまでも歴史における興行の厳しさは書いてきた。例えばヴァーツラフ・ニジンスキーのロンドン公演、後世の偉人であってもエンタメの死神は興行の失敗という悪夢を突きつけられた。※
数字は実入りどころかその後の人生にすらダイレクトに響く
「(ロンドン公演「セゾン・ニジンスキー」)最初の二週が終わったところで、ニジンスキーが高熱を発して倒れ、熱は三日間下がらなかった。おそらくインフルエンザだったと思われる。(ロンドンの劇場の)契約書には「連続して三日間ニジンスキーが出演しなかった場合には契約は即座に解除される」という項目があったため、「セゾン・ニジンスキー」はあっけなく幕を閉じた」
「劇場からは二週間分のギャラしか支払われなかったが、ニジンスキーは自分の貯金を引き出し、ダンサーたちに一年分の給料と、ロシア人の場合には加えて帰りの汽車賃を支払った。妻によると、これで貯金は底をついたという」
まさに水物、昨今のミュージシャンがSNSでチケットが売れない、お客の入りが厳しいと訴えるように、興行とは究極のリアリズムであり結果と数字は実入りどころかその後の人生にすらダイレクトに響く。フィギュアスケートも古くはソニア・ヘニーの南米公演失敗や、昨今の競技会や一部のアイスショーの不入りやそれによる企画変更が報じられもする。
安易な人が安易に思うよりお金を払って人に来ていただく、それも生活におおよそ関係のない娯楽で来てもらうというのは本当に大変なのだ。むしろ羽生結弦の興行が成功しかないことそのものが奇跡と言って差し支えない。
いくらでも平易な道はあるはずなのに
決して彼やその周辺の努力や才能を偶然の産物と言っているわけではなく、その奇跡を呼び続ける勇気に対する畏敬である。奇蹟としてもいいだろう。
人間である限り何があるかなんてわからない。身一つの仕事、羽生結弦という存在あっての仕事、ニジンスキーのように病気になったり、あるいは事故や怪我、どうにもならない天災に遭ったりするかもしれない。プロアスリート宣言後もこうしたプレッシャーを羽生結弦は率直に語っているが、まさしく競技会とは別の興行というプレッシャーたるや想像に余りある。いくらでも平易な道はあるはずなのに。
それでも、羽生結弦は自分のやりたいことのために、多くの人々のためにも自身の公演が、興行が必要だった。
(続)
●参考文献
※鈴木晶著『ニジンスキー 踊る神と呼ばれた男』みすず書房,2023年, 298頁.