何度でも何度でも語りたいAIPS「今世紀最高のアスリート」選出の快挙…時代の子、羽生結弦と二人の「神」(後)

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神の子
ペレはサッカーにおけるすべてをこなした人、だ。
技術面でも現代のサッカーのすべてのお手本と言ってもいい。
17歳、最年少でワールドカップ優勝、その後も含めてブラジル計3度のワールドカップ優勝に貢献。
長く欧州と白人中心に回っていたサッカーを南米の天才少年がひっくり返した。サッカー選手が世の模範として、社会性としての貧困や差別、文化に対する多大な貢献を続けたこともまたペレが万人から愛された理由でもある。
なるほど羽生結弦もまたそうだ。
そして、ペレが「神さま」ならマラドーナは「神の子」である。
マラドーナもまた神の子であり、私が常々書く「時代の子」であったように思う。
もちろんペレ同様、マラドーナもまた技術面でも神の子であった。神の手、伝説の5人抜き、弱小だったセリエAのナポリを常勝軍団に導いた。いつまでも少年のようなマラドーナはアルゼンチンから羽ばたき、まさに神に愛された子のままにフィールドを無邪気に席巻した。
時代の子
1986年ワールドカップ・メキシコ大会の準々決勝、相手は宿敵イングランド。
1982年に南大西洋の小島を巡る領有から武力衝突に発展した「フォークランド紛争」は当初アルゼンチン軍の占拠と攻撃機シュペルエタンダールが発射したエグゾセミサイルによる駆逐艦撃沈などで優勢だったが鉄の女、サッチャー首相率いるイギリスの本気と物量がアルゼンチン軍を追い詰め、アルゼンチンの敗北に終わった。
紛争を引き起こした張本人、大統領ガルチェリは逃亡。かつて「南米の先進国」と呼ばれたアルゼンチンはいまも続く凋落の一途をたどることになる。
そのイングランドとアルゼンチンが奇しくもワールドカップで直接対決することになってしまった。厳戒態勢が敷かれた代理戦争、マラドーナはそれこそサッカー少年そのままに躍動、プレッシャーなどないかのように縦横無尽に駆け回り、伝説の5人抜き、そして手でゴールするもヘディングと認められるという「神の手」によって、敗戦とその代償としての経済破綻に苦しむアルゼンチン国民を熱狂させた。
当のマラドーナは「俺じゃなく神がボールに触った」趣旨の言葉を残し、抗議するイングランドもどこ吹く風で準決勝のベルギー戦でも決勝点を決め、決勝でもベッケンバウアー率いる西ドイツにとどめを刺すスルーパスをホルヘ・ブルチャガに送りアルゼンチンを優勝に導いた。