「健康経営」本当の従業員のため?…経済誌元編集長「喫煙者多い企業ほどメンタル不調の欠勤率がわずかに低い」研究結果

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 健康への意識が高まる現代では、私たちはさまざまな生活習慣や嗜好品について、以前にも増して意識的に考えるようになった。その中でも、タバコは健康リスクを伴うものとしか扱われず、批判の対象になりがちだった。しかし、オリコンニュースの記事で「喫煙習慣が実はメンタルヘルスの改善に影響を与える可能性がある」という意外な研究結果が報じられ、その視点に一石を投じている。経済誌『プレジデント』の元編集長で作家の小倉健一氏が、この研究結果を基に喫煙に対する認識の変化について深く掘り下げたーー。

目次

「健康経営」の新たな発見。喫煙がメンタル不調による欠勤・離職を減少させる可能性

 現代社会において、タバコはしばしば一方的な悪と断じられる。健康への害が強調され、あらゆる場面からの排除が進む。個人の選択の自由は、公衆衛生という観点からしばしば制限の対象となる。タバコがもたらすリスクは確かに存在する。肺がんや心疾患をはじめとする多くの疾病との関連性は、科学的に広く認められており、この事実を無視してはならない。

 問題は、タバコのリスクのみに焦点が当てられ、便益や他の有害な嗜好品との比較が著しく欠落している議論の偏向性である。タバコのリスクにのみ着目する姿勢は、公正な評価を妨げ、一元的な見方を助長する可能性がある。

 2025年5月30日に配信されたオリコンニュースの記事『メンタル関連の離職・欠勤率が増加…“健康経営”は本当に従業員のため? 睡眠・運動そして喫煙など嗜好体験の影響は』は、この画一的な風潮に一石を投じる興味深い研究結果を報じた。

 順天堂大学医学部の矢野裕一朗教授らが行った共同研究は、1748社、約420万人のデータを分析した大規模なものである。研究は、従業員のライフスタイルとメンタルヘルス関連の欠勤率・離職率との関連を調査した。結果は驚くべき内容を含んでいた。メンタルヘルス関連の欠勤率・離職率を有意に減少させるライフスタイルとして、「睡眠による十分な休養」「定期的な運動習慣」と並び、「喫煙習慣」が挙げられたのである。喫煙者の多い企業ほど、メンタル不調による欠勤率がわずかながら低いという相関関係が示された。

安易な思い込みには警鐘「結論が導き出されたわけではない」

 この常識を覆す結果について、研究を主導した矢野教授自身が「正直、この結果には私たちも戸惑いがありました」と語ったことを記事は伝えている。また、「『喫煙がメンタルに良い』という結論が導き出されたわけではない」と釘を刺し、安易な解釈を戒めてもいる。

 教授が提示した仮説は、ニコチン摂取下にある喫煙者にとって、喫煙行為が一時的に覚醒度や集中力を高め、リラックス効果をもたらす可能性である。結果として、メンタル不調を感じていても、非喫煙者に比べて欠勤や離職という行動に移るまでの閾値がわずかに高くなる、つまり「我慢しやすい、あるいは不調を認識しにくい状態にある」可能性を指摘した。これは心身が健康な状態とは言えない。同時に、矢野教授は「短期的に見れば『喫煙=企業の不利益に繋がる』と言い切ることもできません」と述べ、問題の複雑な側面を浮き彫りにした。

禁煙推進の影響を問い直す。厳格なルールがかえって従業員のメンタル不調に

 この研究結果は、多くの企業が推進する「健康経営」の実態にも鋭く切り込んでいる。記事は「多様性を尊重すると言いながらも、たばこだけは例外のように“悪”と見なされる風潮はありますね」という教授の言葉を紹介し、「『明日から全員禁煙』『破ったらペナルティ』といった急激な変化の押し付けは、大きなハレーションを生みます」と、厳格なルールの押し付けがかえって従業員のメンタル不調を引き起こす危険性を警告している。

 大手クルマメーカーの産業医である垣本烈医師は、次のように評価する。

「(順天堂の研究は)非常に興味深い。この効果をもたらしている物が成分なのか社会習慣なのかは解らないが、解明を進めることで医学的に役に立つ可能性がある」

「絶対悪も絶対善も存在しない以上当然のことだが、一見有用な薬物にも副作用・一見有害か物にも使い道がある場合が多い。こうした予想外の結果が出た時にそれがきちんと発表され議論の俎上に上ること自体が、この国の医学研究が機能している証とも言える」

タバコよりも深刻?アルコールのリスクが示す健康経営の課題

 順天堂大学の研究結果が明らかにしたように、従業員の自律性を尊重し、プレッシャーではなく支援を通じて健康を促進するアプローチこそが、生産性の向上と個人の幸福を両立させる道である。タバコのリスク、アルコールのリスク、その他の生活習慣のリスクを公平に比較検討し、個人の選択を尊重する成熟した社会の構築が求められている。

 英国の独立科学委員会が医学雑誌ランセットに発表した研究(『英国における薬物の有害性:多基準意思決定分析(MCDA)』2010年)は、さらに象徴的だ。

 アルコールは、暴力や家庭問題、経済的損失といった他者への害が極めて大きく、使用者自身への害と総合すると、タバコを上回り最も有害な薬物と評価(1位がアルコールで72点、6位がタバコで26点)された。タバコの害は主に使用者自身に集中する一方、アルコールの害は社会全体に広く拡散する特性を持つ。

カナダ政府はアルコールとタバコを「薬物使用」の枠組みで捉えている

 タバコと比較して、アルコールの有害度が突出して高いのは、経済的損失、傷害・犯罪・家庭問題、精神機能障害・依存性・死亡率への寄与が極めて大きい点だ。それでも社会において、アルコールへの寛容さが根強いのは、文化的背景に加え、受動喫煙のように害が直接的・物理的に可視化されにくいからだろう。酔って起こした問題は個人の資質に還元されがちで、アルコールという物質そのものが持つ構造的なリスクが見過ごされている。

 多角的なリスク評価の重要性は、カナダ政府の取り組みにも見ることができる。カナダ保健省が主導する「薬物使用・依存症プログラム」の公募ガイドラインは、同国が薬物問題に対して包括的かつバランスの取れたアプローチを採用していることを示している。プログラムが対象とする物質には、オピオイド、覚醒剤、大麻といった違法薬物と並んで、アルコール、ニコチン、タバコが明確に含まれている。カナダ政府は、タバコとアルコールを同じ「薬物使用」の枠組みの中で捉えている。特定の物質だけを悪者扱いするのではなく、科学的根拠に基づき、リスクの大きさに応じた対策を講じようとする冷静な姿勢の表れである。

画一的なルールではなく、個人の選択を尊重したアプローチが必要

 タバコに対する議論は、感情論や道徳論から脱却し、より客観的で多角的な視点で行われる必要がある。タバコがもたらす健康リスクは存在する。リスクを低減するための取り組み(分煙)は重要である。

 同時に、喫煙という行為がもたらす一時的な精神的効用やコミュニケーション上の便益も、事実として認めなければならない。全ての喫煙者が禁煙を望んでいるわけではない。個人のライフスタイルや価値観は多様であり、喫煙を自己の判断と責任において選択する人々もいる。企業や社会が追求すべきは、画一的なルールの押し付けによる個人の選択の自由の剥奪ではないということだ。

記事監修:垣本烈医師

※『メンタル関連の離職・欠勤率が増加…“健康経営”は本当に従業員のため? 睡眠・運動そして喫煙など嗜好体験の影響は』(2025/5/30 09:10 産経ニュース)

※”Drug harms in the UK: a multicriteria decision analysis”(『英国における薬物の有害性:多基準意思決定分析(MCDA)』2010年)

※”Canadian Substance Use Costs and Harms Report」(CCSA, 2018, 2020)”

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