“あの出版社”がまたもファンを裏切る…「表現の自由」、信用失墜の「末路」(後)

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雑誌という形態の「終焉」
まあ、大丈夫じゃないんだろうな。
ということで、まず雑誌が売れてない話。
もはや売れてないという次元を超えて「雑誌という形態の終焉」とまで言われてしまうほどである。平均返本率(売れなかった雑誌が委託した書店から返ってくる率)は47.3%(2003年)、およそ刷った雑誌の半分が返品される状態にある。
私の知る限り2000年代は雑誌の利益率にもよるが、返本4割超えたら危険信号(休刊)とされた。この数字、低単価大部数の週刊誌なら普通に赤字だろう。だからネットニュースやコンテンツビジネス(単行本など)で本体の赤字を埋めようとするわけだが、いずれにせよ「大丈夫じゃない」ことになる。
実際、雑誌は「刷れない、運べない、売れない」の三重苦にある。
原材料費など物価の高騰、ドライバー不足と規制強化による「2024年問題」が拍車をかけた物流危機、そして雑誌が売れないことが招く、雑誌そのものを置く場所である書店やコンビニエンスストアのスペース縮小、もしくは廃止である。
前者ふたつはともかくとして雑誌自体を置かないコンビニは本当に増えた。かつてはスーパーマーケットにも雑誌が置かれていたが、これはコロナ禍を機にとくに減ったように思う。私の家のすぐ傍の大型スーパーも雑誌コーナーを廃止したが、周辺のコンビニも雑誌コーナーの棚がひとつにされたところばかりである。
恥ずかしいのに売れないでは置く意味はない
実際、ローソンとファミリーマートの一部店舗は2025年3月で雑誌販売を終了、順次廃止とした。置くには割が合わないということで、日販(日本出版販売、雑誌の大手問屋)もコンビニ流通から撤退した。スペースに限りがあり売れ行きにはシビアなコンビニ、どんなに恥ずかしい雑誌でも「売れれば置く」。だが恥ずかしいのに売れないでは置く意味はない。一番くじの景品やクレーンゲームでも置いたほうがなんぼかマシである。
書店も減った。私の家の最寄り駅周辺の書店チェーンは2件消えた。2024年12月の段階で全国の書店は約1万店、10年前に比べて4000店減っている。およそ三分の一が消えた。ネット販売もありこれから有人の対面店舗はますます減るだろう。
そんな中で、羽生結弦は「出版界の救世主」と呼ばれる。私もこれについて本連載で『本屋さんの救世主、羽生結弦」…多くの人々に読んでもらえた喜び、その本屋さんの喜びを曲解する「心ない人々」』として書いた。
良いものは売れる。だから羽生結弦も売れる
そもそも羽生結弦は自身がまだ何者でもない(あくまで現在と比しての話)高校時代に自伝『蒼い炎』を出版、ベストセラーとなったがその印税はアイスリンク仙台を始め自身も被災した震災の復興のために寄付している。もうずっと、それを続けている。
お金はいくらでも欲しい競技会時代、フィギュアスケートは金がかかる。お金がないから辞める人だっている世界だ。それなのに羽生結弦は印税を寄付した。もう総額で何億円にもなる羽生結弦の寄付だが、もはや額の話を超えて「心」の話になっている。羽生結弦の心そのものがこの厚志であると。これを人は「信頼」と呼ぶ。良いものは売れる。だから羽生結弦も売れる。
その栄光と実績はもちろんビジュアル、真摯な姿勢、そして深い洞察力と感受性の高さから紡がれる言葉と文章が、それこそ断末魔にあえぐ出版界、とくに雑誌業界でも「救世主」と呼ばれるようになった。
かつて「叩き」ばかりだった出版社も依頼するようになった。それを受けるかどうかは羽生結弦の選択、それは尊重されるべきだ。彼はアスリートであり、アーティストであり、エンタテイナーであると同時にビジネスマンでもある。それも成功しかない興行を続けるビジネスマンだ、まだ若いが勝負師としては大ベテランである。面構えが違う。