大学夜間コースから国立大編入を経て一流企業内定へ…新卒就活を有利に進めるための「編入」という選択肢
教育ジャーナリストの濱井正吾さんが、「学歴ロンダリング」をして、人生が好転した人を取材する連載「濱井正吾 人生逆転の学歴ロンダリング」。
今回は、和歌山大学経済学部夜間主コースから滋賀大学経済学部に編入学後、卒業。スタンレー電気株式会社、横浜市役所、ジブラルタ生命保険株式会社を経て、一橋大学大学院経営管理研究科に進学。修了後はIT業界に人事部長として転職、現在は株式会社NTTデータに勤務中の田中麻衣子さんにお話を伺いました。全2回の第1回。
目次
井の中の蛙だと気づいた高校時代
田中麻衣子さんは1980年生まれ、岐阜県西濃地区の郡部で両親公立高校の教員、父方の祖父母と暮らす三世代家族で育ちました。
「公立高校の教員ではありますが、田舎によくある教員一家(両親の上の世代も教員)ではなく、両親は初代でした。父方母方ともに祖父母は大学卒でもありません。母方の曾祖母は、初曽孫の私にお年玉をと考えお年玉袋を用意して母に『はつゑ(曾祖母の名)』と書いてほしいと言ったそうです。曾祖母は文字を知らずに書けなかったのですが、その事実に母は衝撃を受けたと言っていました。そして、母は大学時代に1年間、当時は珍しかった米国への留学をしていたのですが、その経験のおかげで『いかに親から教育を受ける機会を与えられたことが大きなことかを理解した』と母親から聞いたことは、今でも私が奮起する材料になっています」
「先生の子ども」として育った田中さんは、中学受験はほぼない地域性であったものの、大学に進学することは既定路線という環境で育ちました。公立の小中学校までは、成績はそれなりによい優等生だったと語ります。
「それなりにできるという自負がありましたが、中学1年生の1学期中間試験で、思ったほど点数が取れず落胆しました。各教科のワークや単元テストを反復練習すれば高得点が取れる気づき、期末試験からは420点くらいを取れるようになりましたね。内申点は45点中、42.43あたりでした」
田中さんの学区では、地名に方角がつく普通科高校が順位付けされていて、学力は北東南西の順番でした。
「学区トップは『北』で、北高に行くものだと、自分も周囲も思っていたのですが『東』に進学しました。成績は中2がピークで中3は伸び悩みました。全県に展開する学習塾の入塾テストの点数がとてもよく、そこで力尽きたことに加えて、3年生になって周囲も受験勉強をし出したために成績が伸び悩んだのだと思います。自分は万能だ、何でもできると思っていましたが、自惚れでした」