製薬会社のトップセールスマンから医師に転身した男性は、なぜまた慶應MBAで学ぶことを決めたのか…「学歴ロンダリングをもう一度考えたいです!」その効果とは

教育ジャーナリストの濱井正吾さんが「学歴ロンダリング」をして、人生が好転した人を取材する連載「濱井正吾 人生逆転の学歴ロンダリング」。
今回は、本郷中学校・高等学校を卒業後、明治薬科大学薬学部を卒業。中外製薬株式会社に2年半勤務したのち、北里大学医学部に学士編入し、その後医師をしながら慶應義塾大学大学院経営管理研究科に進学し、現在は医療法人社団季邦会の理事長を勤め、クリニックを多店舗経営する傍ら、株式会社ENの代表取締役を勤めている鎌形博展さんにお話を伺いました。全2回の第2回。
みんかぶプレミアム連載「濱井正吾 人生逆転の学歴ロンダリング」
目次
製薬会社のトップセールスマンから医師に華麗に転身…次はMBA取得も思い立つ
25歳になる年に、北里大学の2年次編入試験で医学部に合格した鎌形博展さん。
留年ギリギリだった薬学部時代と異なり、医学部では学業に一生懸命取り組んだこともあり、5年間の平均GPAが3.4という好成績を残しました。
「社会に出てから、再び勉強できる機会を得られてとても良かったです。医学部ではさまざまな実習に参加しますが、北里大学では、実習の一部で海外に留学できるプログラムがあり、そちらを利用しました。カルガリー大学のフットヒルホスピタル呼吸生理学教室にて、睡眠時無呼吸症候群の研究を2ヶ月間させていただいたことはとても印象に残っています」
無事、大学を留年なしで卒業し、医師国家試験も一発で合格。卒業後2年間は都立多摩総合医療センターで臨床研修医として過ごし、優秀臨床研究賞を受賞。その次は東京医科大学病院救命救急センターで後期研修医として過ごします。
その間、結婚してパートナーの出産が迫っていた鎌形さんは、医師になって4年目に突入した年に育休を取得します。その育休の期間を利用して、将来をどうしようかを考えた結果、大学院に進学してMBAを取得しようという目標が生まれました。
︎医師として勤務する中で生まれた思い…なぜ国内MBAを目指すことにしたのか
「研修医として勤務する中で芽生えたのが、医療政策、経営を勉強したいという思いでした。病院を経営していく上での課題がたくさんあり、現場も疲弊している状況があり、将来的にこの状況をなんとかしなければ、経営が持続していかないと感じました。特に専門としていた救急や災害医療分野は社会システムや政策と密接な関係がありました。将来的には厚生労働省、戦略コンサルや病院の経営者というのも視野に入れていたので、経営と医療政策について勉強する必要があると思ったのです。北米のMBAに進む人もいますが、海外に留学したら2000~3000万円かかるし、そのための準備期間も必要ですし、行けてもその間は仕事ができない。それに医療政策を学ぶなら日本の方が優れていると考えました。そう考えて大学院を調べていたら、慶應義塾大学大学院経営管理研究科に医療政策分野で有名な田中滋先生がいたので、慶應を受験しようと思いました」
またしても仕事をしながらの受験勉強が始まった鎌形さん。しかし、慶應のMBAは試験科目が小論文と面接のみであったため、「受験勉強という感じではなかった。」と語ります。
志望理由書には自身の問題意識であった医療業界の課題について盛り込み、それほど準備をせずに小論文と面接試験に臨みました。
「慶應の小論文の内容は詳しくは覚えていないのですが、企業の経営に関する内容だったと思います。面接で聞かれたことは、『お医者さんなのになんでMBAに来る必要があるのか』ということが中心で、その周辺の話を掘り下げて聞かれました。『病院の課題は何か』『MBAの学びでどのような貢献ができるのか』『卒業後どういうことをするのか?病院に戻るのか?』といった質問を答えたのですが、何も準備をせずに臨んだために変に緊張してしまった思い出があります」
こうして鎌形さんは、慶應義塾大学大学院経営管理研究科に合格し、新しいキャリアを開拓することができました。
大学院では驚異のGPA3.95を獲得…慶應MBAで学ぶ中で驚いたこと
慶應義塾大学大学院経営管理研究科に進学してからの鎌形さんは、田中滋教授・中村洋教授に師事し、医療政策のゼミに所属します。救急の当直を週3回やりながらフルタイムで大学に通い、MBAを取得しました。