山手線の地味駅・大崎が「混沌の迷宮」爆誕で湾岸タワマン街に完全勝利している…東京で「洗練」が評価される時代は終わった

「住みたい街」と評される人気のエリアにも、掘り起こしてみれば暗い歴史が転がっているものだ。そんな、言わなくてもいいことをあえて言ってみるという性格の悪い連載「住みたい街の真実」。
書き手を務めるのは『これでいいのか地域批評シリーズ』(マイクロマガジン社)で人気を博すルポライターの昼間たかし氏。第7回は湾岸エリアの影に隠れたタワマンタウン「大崎」を歩く。
目次
山手線の地味駅だった大崎の人気が爆発した理由
かつての大崎は、静かな街だった。
静かどころではない。大崎駅は、山手線の駅の中でも屈指のなにもない地味な駅として知られていた。
筆者の記憶にあるのは90年代からだが、駅周辺はとても山手線の駅とは思えなかった。駅の周囲はオフィスと工場に住宅街。駅西口にはコンビニと飲食店がちらほらとある程度。唯一、東口の大崎ニューシティにだけ再開発間もない真新しさがあった。そんな街ゆえに夕方も6時を過ぎれば歩いている人の姿すら数えるほどだった。
とにかく、山手線の始発駅=近所に住めば終電でも乗り過ごすことがないことを除けば、なんら特徴のない街であった。
そんな時代の記憶があると、その変貌には驚く。りんかい線の開通以降、大崎駅は単なる始発駅からターミナル駅へと変貌を遂げた。工場跡地の再開発も行われ、次々とマンションができた。隣駅の五反田周辺が風俗街からオフィス街へと変貌を遂げたこともあり、大崎は職住近接の理想的な街として発展を遂げている……。
でも、本当にそれだけなのか? ちがう。もしも、単に自宅と職場が近くて便利な程度なら、そんなに人気の街になれただろうか? 大崎の真の魅力は、23区でも屈指の迷宮性にある。
大崎ニューシティに残る「バブル前夜」の遺産
大崎の迷宮を探索するには、まず大崎駅に行かねばならない。かつて、山手線にありながらローカル線的だった駅は完全に変わった。駅構内にはコンビニや飲食店まで並んでいる。特に注目したいのは改札内に書店が出店していることだ。書店不況といわれる時代に、決して規模は大きくないが、駅利用者を相手に書店の経営が成り立っている。これは、この街が単なる再開発で人を集めただけの街ではないことを示している。
そんな街でまず眼に入るのが、再開発が完了した東口である。マンションとオフィスビルとが混在する光景は、湾岸のタワマンエリアとは異なる独特の雰囲気を醸し出している。東側で目立つのは、1987年に竣工した「大崎ニューシティ」と、1999年竣工の「ゲートシティ大崎」である。どちらもすでに再開発から時間が過ぎている。その結果、建物がそこはかとなく今風とは異なる独特の雰囲気になっている。
とりわけ「大崎ニューシティ」は、もはやレトロ感すらある。建物の入り口には最近の再開発ではおそらくやらないアーチ状のゲート。設計当時はオシャレ感があったろう滝みたいな噴水も設置。現代では新規に設置されることもなくなった「平和都市宣言」の女子像もある。

こういうアーチが最後に流行したのはいつだったか?

謎の滝みたいな噴水とオブジェ。こういう一見無駄な構造物も最近は消えた
現代の再開発なら、こうはならない。ゲートは直線的でシンプルな鉄骨のフレームになり、噴水は水の流れを極限まで抑えた「ドライミスト」に置き換わる。そして女子像のような具象彫刻は姿を消し、代わりに置かれるのは、何を表現しているのかよくわからない抽象的なオブジェだ。ステンレスの球体とか、斜めに傾いた錆びた鉄板とか。アーティストの名前とコンセプトが書かれたプレートだけが添えられて、通行人は誰もそれを読まずに通り過ぎていく。
ここにしかない「古き良き再開発」
「わかりやすさ」が排除され、「洗練」という名の無機質さが支配する。それが現代の再開発のルールだ。大崎ニューシティの噴水や女子像は、確かに古臭い。だがその古臭さには、まだ街に「メッセージ」があった時代の名残がある。
その「メッセージ」とはなにかは言語化しにくい。
ただ言えるのは、当時の再開発には「こんな街になったらいいな」という、ある種の理想があったということだ。噴水は潤いを、女子像は平和を、アーチは人々を迎え入れる温かさを象徴していた。そこには、具体的で、わかりやすい「良い街」のイメージがあった。
対して現代の再開発が追求するのは、もっと現実的な価値だ。動線の効率化、バリアフリー、防災性能、メンテナンスコスト。そして何より「住みやすさ」すなわちスーパーへの距離、保育園の有無、駅直結かどうか。ポエムではなく、スペック。理想ではなく、実利。それは確かに正しい進化なのだが、どこか窮屈でもある。
そんな大崎ニューシティの内部を歩くと、不思議な感覚に襲われる。天井が、低い。最近のビルに慣れた身には圧迫感すらある高さだ。だが天窓から差し込む自然光が、その圧迫感を和らげている。空間の贅沢な使い方、現代なら床面積を最大化するために削られるような余白が、ここにはまだ残っている。

もはやバブル以前のデザインなニューシティ。天井が低いのも今だとオシャレ
そんな建物には、ライフがあり、マツモトキヨシがあり、吉野家にケンタッキー、バーガーキングがある。なんとなく、とりあえず便利で人気そうな店を全部入れてみました感すら漂う。
結果、吉野家で牛丼を掻き込むサラリーマンと、買い物袋を提げた主婦、マツモトキヨシの袋を持ったOLの生活圏が渾然一体となっている。
本来なら分離されるはずの2つの世界が、この建物の中では自然に混ざり合っている。オフィスビルなのか、ショッピングモールなのか、住宅街の商店街なのか、その境界が曖昧なまま、すべてが同居している。計算され尽くした現代の再開発では、決して生まれない混沌は、妙な心地よさを与えてくれるのだ。
過去を消さない街の哲学
これは隣の「ゲートシティ大崎」も同様だ。こちらは1999年竣工。
入り口には、針金が地面に突き刺さったようなアートが置かれている。これこそが、この建物の設計思想を物語っている。バブル崩壊後とはいえ、建設当時はまだその余韻が残っていた。「わからないけど、なんかすごそう」という、そんな感覚で置かれたであろうこのアートに、時代を感じずにはいられない。

ゲートシティ大崎は空間の使い方がどことなくバブリー
そんな、「ゲートシティ大崎」も空間の贅沢な使い方が目立つ建物だ。だが特に注目したいのは、サンクンガーデンである。