早稲田理工に通っていた男性は、なぜ医学部再受験を決意したのか「有名な銀行や自動車会社などに内定が決まっている同級生と比べて…」
教育ジャーナリストの濱井正吾さんが、「学歴ロンダリング」をして、人生が好転した人を取材する連載「濱井正吾 人生逆転の学歴ロンダリング」。
今回は、芝中学校・高等学校から早稲田大学理工学部物質開発工学科に進んだものの、再受験をして金沢大学医学部に入学。現在は医師として活躍する林恭秉(きょうへい)さんにお話を伺いました。全2回の第2回。
目次
芝時代の同級生は大手に続々内定「自分がみすぼらしい」
早稲田大学理工学部に入学した林さんに、なぜ進学先に早稲田を選んだのか理由を伺うと、「あまり深い理由はない」と話してくれました。
「住んでいたのが埼玉県だったので、比較的通いやすく、併願で受けようと思っていた理工学部があったのが早稲田と東京理科大だけでした。慶應は日吉キャンパスですごく遠いので受ける対象にはなりませんでしたね。少しでも上に行きたいと思って早稲田を選びました。理工学部を選んだことにも、こだわりはあまりありませんでした。物質開発工学科を選んだのは、早稲田の他の学科に比べて入りやすそうなところだったからです。建築学科はデッサンも試験科目に入ってきますし、物理学科は最低合格点が高かったので回避しました。あとは、当時からもしかしたら仮面浪人をするかもしれないということも考えていたので、早稲田は仮面浪人をしていても、周囲に何も言われない環境だということを周囲の進学者や2ちゃんねるなどを使って調べていたんです」
こうして事前知識を十分に得て早稲田大学に入った林さん。しかし、キャンパスで会う芝中学校・高等学校時代の同級生たちがすでに先の学年としてキャンパスライフを送っており、有名な銀行や自動車会社などに内定が決まっている人が多かったこともあってか、「自分がみすぼらしいと思った」そうです。こうして林さんは、もう一度医学部を受験する決意を固めました。
「入学したときから、自分がここにいてもしょうがないんじゃないかという気持ちがありました。自分が就職しなきゃいけなかった20年前は就職氷河期だったこともあって、いくら早稲田といえども、3年遅れている人を普通のメーカーが取ってくれるのかなという懸念もありました。だからこそ、自分が人生を逆転するには医学部に行くしかないんじゃないかなという猪突猛進的な考え方がありました」
勉強法とマインドに変化…ついに医学部合格を射程圏内に
こうして林さんは、大学にはほとんど行かずに単発のアルバイトをしつつ、学費が無料だった代々木ゼミナールに通ってまた受験勉強を始めます。
「当時の自分の成績のおかげか、学費がタダになるという報せを代ゼミが送ってくれたので、早稲田大学の授業を少しだけ行きつつ、代ゼミにもちょっと行きつつ、アルバイトやパチンコをする生活をしていました。なんとなくダラダラ1日5〜6時間くらいだけ、今までに使っていた問題集だけやっていたので、この年の記憶はあまり残っていません」
大学1年生のときのセンター試験では、勉強時間が足りなかったこともあり、三たびセンター試験で80%台前半に終わります。そしてこの年も東北大を受け、不合格に終わりました。
しかし、大学2年生になってからの林さんは、大学では友達ができ始めたこともあり、早稲田大学に通う頻度が増えるようになります。勉強面では、前年に引き続き授業料無料の代々木ゼミナールに通いました。
初めて模試でD~B判定が取れるようになったこの年は、単発のアルバイトに加えてお姉さんに資金の援助をしてもらったことで少し時間に余裕もでき、勉強への取り組み方が変わったことが成績向上の大きな要因となったそうです。