なぜ「公立進学校出身者」は人生の予後がいいのか?中高一貫校エリートが“静かに詰む”構造
学歴は、どこまで人生を規定するのか。大学名や偏差値は語られやすい一方で、「どんな中学・高校環境で6年間を過ごしたか」が、その後のキャリアや人間関係、ひいては人生の“予後”にまで影響している事実は、意外と正面から語られてこなかった。学歴活動家として受験・教育・キャリアを長年見てきたじゅそうけん氏自身の経験と、実際に話を聞いた当事者たちの証言をもとに、「公立進学校」と「中高一貫校」がつくる行動様式の違い、そしてそれがもたらす人生の分岐について考察していくーー。
目次
学力では測れない「公立進学校出身者の予後の良さ」
中高6年間という期間は人格形成に大きな影響を与える。私自身も、愛知県三河地区というエリア、一貫校ではなく公立中学校から中高一貫進学校に高校入試で入学したことなど、6年間が現在の私に大きな影響を与えていることは間違いない。
これは、私の身の周りの人々を見ても明らかであり、実際に企業の人事における配属などでも、「出身高校」や「入試方式」なども参考にするケースも少なくないという。その中で、現在20代後半という人生の答え合わせの結果が出始める時期において、間違いなく感じるのは「公立進学校出身者」の予後の良さだ。
いわゆる「稼ぎの大きさ」というよりは、「結婚」、「安定したキャリア形成」、「転職した際の動機」など、周囲との関係構築やバランス感覚が必要となる場面に強い印象を受ける。
一方で「中高一貫進学校出身者」、中でも別学出身者は特に、その手の分野においてストレートには進んでいない、見方によっては「予後が悪い」人が目立つのも事実。そこで今回、実際に公立出身者、一貫校出身者に聞いた話も交えながら、その要因について考察していきたい。
「失点しない人生」は中学で始まっているーー公立進学校がつくる行動様式
「今の生き方は中学時代から確立されている」
そう語るのは、神奈川県の公立進学校から現在は大手日系企業に従事する友人だ。
「そこそこ地頭もあったんだと思うけど、中学時代は学年上位でいわゆる勉強できるやつ、ではあった。その上で部活もサッカーをそれなりに頑張ったり、副教科もそれなりに頑張ってたりしてれば、自然と優等生みたいな立ち位置ではあったかな。内申点も当然良くて、公立の地域ではそこそこの学校行って、そこでも同じことして指定校で早稲田。就活も今の社内での立ち振る舞いも同じ」
公立進学校への進学にあたっては、どうしても内申点の存在は必要となる。それはただ勉強ができるだけではなく、部活や委員会、教師や友人との人間関係を含めてそつなくこなすことが求められる。その生き方は、中学校時代の成功体験から確立されているものだというのだ。同じ友人はこうも語った。
「いわゆるJTCと言われるような古い体質の日系企業は、公立進学校出身者は強いと思う。結局求められてるのは『失点しないこと』と、『疑問を持たないこと』。その2つの耐性がめちゃくちゃある(笑)」
これまでに培ってきた男女関係ないコミュニケーションや目上から嫌われない力、後輩の面倒を見る力、ストレス耐性などが最大限評価される土壌と言えるだろう。私もいわゆるJTCを少しながら経験したが、求められるのは尖った何かではなく、総合力の高さだ。
総合力を強みに戦う公立進学校出身者は、社内外において良好な関係性を築き、いわゆる「予後が良い」道筋を歩むことができるのだろう。
「地頭はあるのに苦しむ」一貫校男子のリアル
一方で一貫校の環境とはどのようなものなのだろうか。都内有名一貫男子校出身の友人に中高時代の環境の話を聞いてみた。
「一般に言われているのは、『学力至上主義で〜』とか、『ガリ勉が集まってて変人が多い〜』とかだと思うけど、それは若干間違っているかもしれない。大前提それなりの偏差値の一貫校であれば“地頭”は一定担保されていて、親のスタンスにもよるけど勉強一色の6年間、みたいな人の方が少ない。基本は最後1年で積んでいるエンジンで追い上げて、みたいな。要は、最後やれば何とかなる、みたいな考えが多数派。それで実際何とかなっちゃうから、継続的に努力する習慣がないのは間違いなく特徴」