「とにかく安心したい、不動産も欲しい」ニューヨーク嶋佐、“令和の売れっ子芸人”が語る切実なマネー事情(聞き手・吉田豪)
「好きなものを語る」だけでは、人の輪郭は見えてこない。むしろ、その先ーーそれをどう仕事にし、どこで欲を出し、どこで踏みとどまってきたのかに、その人らしさはにじむ。高円寺に憧れて住み、仮想通貨で失敗し、金も女も欲しいと正直に言いながら、それでも無理はしない。賞レースの“呪い”からも、SNSの強迫観念からも、少し距離を取ってきた。後編では、ニューヨーク嶋佐和也が歩いてきた15年を振り返りながら、「戦わずに続ける」という選択が、どんな結果となったのか掘り下げていく。派手な武勇伝はない。だが、だからこそ見えてくる“いまの芸能界を生き抜くリアル”がある。
目次
ニューヨーク嶋佐が語る「就活と音楽」ロッキング・オンの筆記試験も受けた過去
ーー嶋佐さん、オアシスの活動が止まってるときに、誰よりもオアシスを歌ってたぐらいの人じゃないですか。
嶋佐 それもたまたまなんですけどね。そしたら、オアシスが復活したときの広告に起用してもらったり。
ーー「オアシスといえば嶋佐」になるとは思わなかったですよ。
嶋佐 まさかですよ。まだ全然「いえば」にはなってないですけど(笑)。
ーー大会場で歌い続けてるわけじゃないですか。
嶋佐 ホントっすよね、変な感じですよ。だって代々木第一体育館で1万5000人ぐらいの前でオアシス歌って、ホントのオアシスみたいなことしてますからね。変な感じっすよ。ゴールデンの生放送でフル尺で歌ってますからね。本物のオアシスでも『ミュージックステーション』でフルで歌ってないですよ。
ーー笑いなしでちゃんとやってますからね。
嶋佐 だから何気に不思議な、なかなかの経験をさせてもらってますね。無駄に緊張してましたけど。
ーーあんまり緊張しない人じゃないですか。
嶋佐 でも、さすがにオアシスをゴールデンの生放送で歌う前はめっちゃ緊張しました。よくよく思えばそれなんの緊張なんですかね、誰に対してどういう緊張?そもそもが何してるの?っていうものなのに、なぜかめっちゃ緊張した。
ーー大学卒業後はレコード会社を受けてもいたわけですよね。
嶋佐 そうですね。大学のとき、音楽が好きだから音楽系のところだけ受けて、落ちたらNSCに入ろうって決めてて。そのときはレコード会社めっちゃ倍率高くて、エントリーシートで全部落ちたんで。で、もうNSC入ろうと思って。あのときはレコード会社と、あとスペシャ(スペースシャワーTV)もWOWOWも受けたし、ロッキングオンも受けました。ロッキングオンは筆記試験をやりました、すげえおもしろかったです。自信あったんだけど落ちたな。でも、就活っていう就活はほぼしてないですね。
ーー音楽について書く側でもよかったんですか?
嶋佐 『ロッキング・オン』も読んでたんで。とにかく音楽系だったらよかったし、いろんなライブに行けてアーティストにも会えて楽しそうだなと思って。それこそこないだ永野さんのチャンネルに呼んでいただいたときに、『ロッキング・オン』の編集長だった粉川しのさんも出てテンション上がりましたもん。文字でよう見てたんで、いろんなアーティストさんのインタビューされてて。ご本人に会ってちょっとテンション上がったもんなあ。いい感じの方でした。
「絶対に高円寺がいい」憧れのサブカルの街で過ごした12年
ーー嶋佐さん、高円寺在住だったことでも知られてますけど、高円寺を選んだ理由はなんだったんですか?
嶋佐 それこそサブカルの色が濃い街に住んでみたくて。バンドマンの街じゃないですか。だから大学を出てNSCに入るってなって、そしたら絶対に高円寺がいいと思って探しましたね。トータル12年ぐらい住んで。高円寺は同期の鬼越トマホークの坂井(良ちゃん)とか、後輩のそいつどいつの刺身とか、鈴木もぐらとか、近くに住んでた芸人仲間もいたので、楽しかったです。
ーー高円寺だからこそ、水道橋博士とすれ違うネタとかも出来たわけですよね。
嶋佐 ホントっすよね。水道橋博士さん、DMが来たんですよね。「メルマガで日記を書きませんか?」って。いまから6年前ですかね。そしたら博士のメルマガ終わっちゃって。
ーー選挙に出たことで『メルマ旬報』が終わって。
嶋佐 そこから、せっかくだから日記を書き続けてますね、毎日ずっと5年間ぐらい。博士がそうやって言ってくださったおかげですね。『SHOW-OFF』っていう高円寺のフリーペーパーの表紙にしてくださったり、なんにもネガティブな印象がなく、もう一生高円寺でもいいかなって。間違いなく第二の故郷って感じでしたね、馴染みの店もできたし。
ーーレコード屋なりライブハウスなり、当時あこがれてた店とかなかったんですか?