「どうして何回もタイに行くんだ?」エイズが蔓延していた80年代のバンコク。鈴木傾城が見た「地上の楽園」の裏側“クロントイスラム”に沈んだ貧困女性たち
1980年代から90年代にかけて、アジアの歓楽街は熱気と混沌、そして甘美な腐臭に満ちていた。高度経済成長のあぶく銭を握りしめ、男たちは夜の底へと沈んでいった。これは、かつて暗黒街に沈み、熱気と混沌に溺れながら「愛」を探し求めた男の回想録である。
「ブラックアジア」「ダークネス」でカルト的な人気を博す作家・鈴木傾城氏による連載「アジアの暗黒街で愛を探した男」第4回――。

タイ・バンコクの歓楽街(2019年撮影)
<前回までのあらすじ>
堕落と快楽が渦巻くバンコクの歓楽街パッポン。筆者はこの「地上の楽園」に魅了されるが、そこにはエイズという死の病が蔓延し、世間もまたその恐怖に包み込まれていた。だが、言葉も通じぬ怪しげな「スモーキングハウス」へ足を踏み入れるなど、現実を直視できぬまま、筆者はさらなる危うい世界へと沈没していく――。
目次
ゴーゴーバーの2階に沈没する男たち
1980年代からバンコクの歓楽街パッポンで最強のゴーゴーバーと言えば『キングス・グループ』だった。「キングス・キャッスル I」「キングス・キャッスル II」「クイーンズ・キャッスル」があって、この当時は「ゴーゴーバーに行くなら、この3つだけ押さえて後は無視でいい」みたいなことを言っている人もいた。
美しい女性たちが多く、さらに踊っているバーガールの数も半端なく、正確に数えたわけではないが、ひとつの箱に100人くらいの女性がいたのではないだろうか。それくらいの規模だったので、大人気だった。
ところが、あまりにも人気だと飲んでいても落ち着けない。それで、歓楽街に慣れた男たちから、キングス・グループを卒業していくことになる。私もパッポンに慣れていけばいくほどキングス・グループが嫌になっていき、どちらかと言うと中型店、あるいは場末店を転々としていくようになっていった。
パッポンの2階のバーはなかなかディープな世界だが、そういう濃厚な世界ではなく、水で薄めているような氷入りビールを飲み、やる気のないバーガールと長々と談笑できるようなバーに沈没したくなってくる。
談笑と言っても、私はタイ語はできないし、英語はお互い極限まで中途半端なので、適当なコミュニケーションをしていた。あるいは、ふたりで手をつないで黙って見つめ合って時間をつぶす。そういう、のんびりできるバーがお気に入りになる。
白人(ファラン)たちもそうだったようで、彼らに人気だったのが「リ・フィフィ」というバーだった。小さいバーで、女性もそれほどいない。一見の客もほとんど来ない。そういう隠れ家的なバーもあった。
褐色肌の売れっ子・プラーとの出会い
私は中堅のバーが好きだったが、たまに寄っていたのが「サファリ」だった。店名がサファリだったからだろうか。バーガールがみんなカウボーイハットとロングブーツを身に着けて踊っていたのが楽しかった。
プラーという女性とも、そこで知り合っている。彼女はこのバーでは売れっ子だったが、キングス・グループに居なかったのは、その褐色すぎる肌の色もあったのかもしれない。キングス・グループは比較的、色の白い女性が選ばれる傾向にあった。
しかし、プラーは、楽しくて、親しみやすくて、優しくて、屈託がなかった。どういう話をしていたのか忘れたが、何を話しても楽しく笑い転げていたのが印象的だった。その姿が今でも焼きついている。
何度かペイバーしたが、彼女に先客があるときなどは、短い時間だけ一緒に店を出て、パッポンのゲート近くのハンバーガー屋で一緒にハンバーガーを食べて戻ってきたりしていた。
そのときは彼女の友だちもひとりついてきて私がおごる羽目になった。オーイだったか、オンだったか、そんな名前の女性で、シャイだったのでまったく客がつかなくて苦労しているようだった。
エイズ騒動と売春反対デモ
バーガーショップを出るとき、やはり売春反対の抗議デモや、「Safe Sex」と書かれたプラカードを見せつけてくる年配の女性とも遭遇した。エイズ騒動のまっただ中だったので、表社会の人たちがナーバスになっていた頃だった。
世間は性病の温床だとか、売春反対だとか、シン・シティ(堕落の街)だとか、パッポンの住民を激しく攻撃していて、明らかにパッポンに出入りしている私たちを毛嫌いしていた。
売春の世界にかかわる男と女は、何もなくても、いつでも激しく糾弾され、攻撃され、軽蔑され、陰口を叩かれる。そこにエイズの脅威が蔓延しているのだから、この当時はなおさら陰湿だったと思う。私たちは完全に嫌われ者だった――。