高校中退で「一族の恥」と言われた男の逆転劇“3年限定”で挑んだ医学部再受験の結末
教育ジャーナリストの濱井正吾さんが、「学歴ロンダリング」をして、人生が好転した人を取材する連載「濱井正吾 人生逆転の学歴ロンダリング」。
今回は高校を中退し、軌道工の仕事をしながら独学で医学部受験を決意。3浪を経て、島根大学医学部に合格した前田朋之さんにお話を伺いました。全2回の第2回。
目次
初模試400点から690点台へ。校舎記録を塗り替えた1浪目
自分の速度で進めると思い、東進衛星予備校に入った前田さん。入塾後、4月に受けた人生最初の模試では、「たしか400/900点ほど取れた」と語ります。
「その模試は現役生向けなので出題範囲は狭かったんですけど、初めての模試でこの結果だったので、これは医学部いけるなと思いました。」
さらに勉強に火がついた前田さんは、模試のたびに飛躍的に成績を向上させることに成功します。
「1日に10〜12時間、映像授業を見たりしてひたすら勉強していました。すると2ヶ月ごとにセンター試験の模試の点数が50〜70点上がっていったんです。最後に受けた模試は690後半/900点で、今までの予備校の記録を塗り替えるくらい成績が上がったんです。最初は予備校の校舎長も、変なやつが入ってきたなと思っていたみたいですが、途中からはすごいなと応援してくれました」
最後の模試が終わり、残すはセンター試験のみ。センター試験で今まで成績が上昇したように、プラス50点程度上がれば医学部に届くかもしれない位置にきた前田さん。しかし、最後の最後で成績上昇は鈍化し、700/900点に終わりました。
結局1浪目は島根大学医学部に出願するも落ちてしまい2浪目に突入します。
医学部は射程圏内のはずだった…「高校中退」という過去が刺さった2浪目の病み期
2浪で記録的な成績向上をやってのけた前田さん。2浪目でも同じように勉強をすれば当然、医学部も射程圏内に入ってきますが、病み期に突入してしまい、思うようにいきませんでした。
「2浪目は勉強をあまりしていないです。最初の方は、今年はいけるという確信を持っていたんですが、夏くらいに急に『自分は高校を辞めているし、1次試験で通っても結局面接で弾かれるんじゃないか』とか『めちゃくちゃ勉強しても結局落ちたら意味ないよな』と考えるようになってしまったんです。当時はまだ、メディアでも高校中退して医学部に入ったとかそういう情報はなかった。取り憑かれたように勉強していたけど『何をしてるんだろう?』と。18〜20歳って一番楽しい時期じゃないですか。自分は13〜17歳の時は楽しんでいたのに、人生の一番楽しい時期を何に使っているんだろうと考えてしまいました。だから、それから3ヶ月くらいはひたすら本屋に行って立ち読みしたり川を眺めたりする生活をしていました。もちろん成人式にも行っていないです」
最終的には直前になって急に焦り出し、必死に勉強するも、センター試験は740/900点。前年よりは上がったものの、結局この年も不合格に終わります。
「これでダメなら戻る」と決めた3年目 掴んだ医学部合格
こうして絶望の中3浪目に突入した前田さん。しかし、彼の中ではこの年で結果がどうなろうと終わらせるつもりでした。
「もともと医学部受験を決めた最初から、高校3年間に相当する3年だけ受験すると決めていたんです。これが無理だったら昔の仕事に戻るか、不動産の会社にいくか、他の道を探そうと思っていましたので、腹を括ってラスト1年に望みました」
この年も東進衛星予備校に所属はしていましたが、授業はほとんど取らずに自習室みたいな感じで使っていました。
「2年目をうまく使えなかったので、最後は逆にできること全部やって、ダメなら諦めようと思っていました。面接点が0でも受かるくらいの点数とって、これで落ちたら本当に資格ないんだなというような割り切り方ができたんです」
自習室にこもって勉強を続けた前田さんは、センター試験の模試でも安定して790点後半を確保。B〜A判定をコンスタントにキープして、共通テストも800/900点を確保します。
「700点台後半を目指して勉強していたんですけど、本番で国語満点取れてしまったのがラッキーでした。2浪目に本ばかり読んでいたのも良かったのかもしれません。それから島根大学医学部に出願したのですが、2次試験受けて、面接も普通に終わって、蓋を開けてみたら上位で通りました」