「ESGブーム」もうすぐ終わる~躍った投資家が知る本物とニセモノ
空前絶後の市場流行語となった「ESG」とは
株式市場ではさまざまな流行語や新語、造語が浮かんでは消えてきた。最近では「ESG」。環境(Environment)、社会(Social)、企業統治(Governance)のそれぞれの頭文字をつなぎ合わせたものだ。「ESG投資」、すなわち企業の環境対策や社会問題への取り組みを評価に取り入れ株式を売買する手法や、関連の投資信託が人気を集めている。
この言葉は本当によく見たり聞いたりする、という直感は正しい。日本経済新聞の朝刊に限って「ESG」の語を含む記事の数を調べてみた。2015年には28本だったが、5年後の20年には417本へと急増。21年にはさらに加速して707本になり、22年は1~6月だけで443本。単純に2倍して年換算すると886本となる。もちろん、過去最高だ。
この検索は、日経夕刊や日経ヴェリタスなどは含まず、電子版も対象にしていない。紙の朝刊だけでも、毎日2つ以上、紙面にニュースが載っている計算だ。テレビやウェブサイト、広告などまで含めれば、本当に巷にあふれているといっても過言ではない。私は1990年前後のバブル期からずっと国内外の株式市場を取材しているが、こんな流行語はちょっと記憶にない。あえて言えば「BRICs」(ブラジル、ロシア、インド、中国)だが、先ほどと同様の検索をしてみると、2005年から09年の間に年150本前後にとどまる。
知りうる限り、空前絶後ともいえる市場流行語「ESG」。なぜこれほどまでに広がり、これからどこへ行くのだろうか。本稿ではそれを考えてみたい。
欧米の流行をセールスに活用するのは日本の証券会社のお家芸
まずは、問題を一つ。次の文章を読み、●●●に当てはまるアルファベット3文字を当ててほしい。
「環境や人権に配慮する企業の株式に投資する●●●が世界的に広がっている。企業が長期的に価値を向上させるには、社会的責任を果たすことが不可欠という考え方が背景にある。しかし、●●●の手法は確立されているとはいえず、運用成果が上がるかどうか疑問視する向きも多い。(中略)世界最大級の規模を誇るオランダ公務員年金(ABP)は今年初め、環境保護に熱心な企業に重点投資する●●●投資信託を立ち上げた」
私の原稿をここまで読んでいただいた方の多くは、●●●に入る語句はESGだと思われるだろう。残念ながら不正解だ。答えは「SRI」。Socially Responsible Investment の省略語で「社会的責任投資」と訳されることが多い。
問題として読んでいただいた文章は、私がロンドン特派員をしていた2003年、日経金融新聞という専門媒体に書いた記事だ。企業評価に環境や社会の視点を入れる投資の手法は20年近くも前にあり、ヨーロッパではそれが連綿と続いてきたのだ。
日本の証券会社は欧米の流行をめざとく取り入れ、金融商品のセールストークに使うのが得意だ。本質を深く考えず、次から次へと言葉を乗り換えていく。だから、2000年代初めには「SRI投信」がはやり、最近は「ESG投信」を売り込んできた。SRIもESGも本質的に重なる部分が多いのに、まったく違う画期的な新製品のように投資家に売り込む。高い手数料を取りやすいからだ。
流行を追っているだけだから、飽きられたら次のセールストーク、新しいテーマを見つけるだけ。最近は証券会社の方々と話していると「ESGもそろそろ終わり……」といった雰囲気が伝わってくる。BRICsと同じく、ESGも遠からず忘れ去られるのだろうか。
ESGが流行語でなくなる時‥それは当たり前になる時
資産運用の本場である英国や米国でも「ESGは消える」と断言する専門家は少なくない。私がインタビューした範囲で紹介すると、例えば英シュローダーのピーター・ハリソンという経営者はこう断言している。
「あと5年もすれば、だれも『ESG』について語らなくなる。なぜなら、あらゆる資産運用会社が実行するからだ。ESGはまったく当たり前のことになる」
ステート・ストリート・グローバル・アドバイザーズという米大手運用会社のサイラス・タラポールバラ最高経営責任者の言葉も紹介する。
「あと数年するとESGについて単独で語られることはなくなる。多くの財務情報と同じく、判断材料の1つになるからだ。だれも運用者に向かって『1株利益(EPS)を考慮しますか』などとは聞かない。それと同じだ」
ちなみに、ハリソン氏のインタビューは2021年、タラポールバラ氏は2022年のものだ。両氏の見立てを信じるとすれば、本稿の冒頭で紹介したESG関連の記事数は今年あたりにピークアウトし、来年から減少に向かう可能性が高い。
日本の証券会社と米英の資産運用のプロ、どちらの見方によっても「ESGは消える」。しかし、理由はまったく異なるし、次元が違うことは明らかだろう。流行やブームが去り、ESGが運用の常識になった時に初めて、投資の知見を身につけ、実力を磨いていたかどうかが分かる。「潮が引いて初めて誰が裸で泳いでいたのかが分かる」という賢人投資家ウォーレン・バフェット氏の言葉は、ここでも当てはまる。
ESGをグローバル経済の必然と考えた欧米の証券会社…対する日本の証券会社は?
そもそも、ESGは日本の証券会社が金融商品を売るためにひねり出したキャッチフレーズではない。ブームが続いている間に、この点が案外忘れられているようにも見える。おさらいをしておきたい。
「ESG」という言葉を世に出したのは、国連だ。2006年4月、時の国連事務総長、コフィ・アナンが発表した「国連責任投資原則(PRI)」のなかに、ESGという言葉が入っている。全6項目から成り、たとえば原則①は「投資分析と意思決定のプロセスにESGの課題を組み込む」と記し、原則②「株式の所有方針と慣習にESG問題を組み入れる」、原則③「投資対象にESG課題について適切な開示を求める」と続く。賛同するかどうかは任意だったが、著名な年金基金や資産運用会社が相次いで署名したことをきっかけに、普及が加速した。
欧米メディアにはこの頃からESGという言葉が登場しているが、日本は冒頭で述べたように15年が普及の起点だ。この年に何があったかと言えば、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)がPRIに署名し、企業統治指針(コーポレートガバナンス・コード)が設定された。GPIFが運用の委託先にESG運用を求め、ガバナンスコードは上場企業に対して「いわゆるESG(環境、社会、統治)問題への積極的・能動的な対応」(基本原則2「考え方」)を求めた。投資する側、される側の双方にとって、この年が日本のESG元年になったわけだ。
もう少しESGの黎明(れいめい)期の話をする。04年にPRIの原型とも言える文書が発表されている。”The Materiality of Social, Environmental and Corporate Governance Issues to Equity Pricing”。「社会、環境および企業統治の諸問題が株価に与える影響」とでも訳せる報告書で、環境問題を金融の観点から分析する国連系の組織、国連環境計画・金融イニシアチブ(UNEP-FI)が作成した。実際には欧米の資産運用会社や金融機関を中心とするワーキンググループの調査がもとになっている。
当時を振り返ると、中国などの新興国の経済が本格的な離陸期を迎え、01年の米同時テロの衝撃から立ち直った先進国がグローバル化を加速させた時期である。同時に、経済成長に伴う地球温暖化や環境破壊のリスクが意識されるようになり、欧米企業のアジア拠点での劣悪な労働環境にも批判が集まり始めた。E(環境)やS(社会)の問題が企業活動に及ぼす問題が大きくなり、それらに対処するための企業の構え、すなわちG(統治)を包含する概念が必要とされた。それが、ESG誕生の背景となった。
ESGをグローバル経済の必然ととらえた欧米の資産運用会社と、投信を売るためのセールストークとして飛びついた日本勢では、実力に途方もなく大きな差がついていると思われる。詳しくは次回に書くが、日本ではまだESGのEの字も聞かれなかったころ、プロフェッショナルたちが準備を進めていたということは、ここで強調しておきたい。
英国ロンドンにジェネレーション・インベストメント・マネジメントという資産運用会社がある。知る人ぞ知るESG投資の老舗で、先述の”The Materiality of Social, Environmental and Corporate Governance Issues to Equity Pricing”が出た04年の設立だ。創業者の一人は地球温暖化に早くから警鐘を鳴らし続けているアル・ゴア元米副大統領、もうひとりは米ゴールドマン・サックスの資産運用部門を率いていたデービッド・ブラッド氏。この2人の意気投合こそが、世界の資本市場をESGが席巻する出発点ともなった。ブラッド氏の古巣であるゴールドマンはESGの視点を取り入れた「GSサステイン」という企業分析の手法を、07年に開発している。
欧米市場でESGの奔流が音を立て始めたころ、日本の証券会社は何をしていたか。05年12月7日付日本経済新聞7面に、こんな記事が載っている。
「個人マネーBRICsへ、投信純資産残高1兆2000億円突破、人気過熱に警戒感も――国内で募集し、インドやロシアなど新興市場の株式で運用する『BRICs投信』と呼ばれる投資信託の拡大が続いている。純資産残高はこの1年で65%増え1兆2000億円を突破した。個人投資家が高いリターンを求めて購入姿勢を強めている……」。
証券会社も投資家も横文字の目新しいテーマ投信に熱狂するばかりだった。 (続)